カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[43]

投稿日:2016年1月5日

巨大商社誕生の地

2015年9月23日(東京〜鹿児島)

 湖東の国道8号を北上。琵琶湖に流れ込む愛知川を渡ったところで、国道8号を右折し、旧中山道の愛知川宿に入っていく。右手には料亭の「竹平楼」。ここはかつての旅籠の「竹の子屋」だとのことで、200年以上も前の建物が現役で使われている。

 V−ストローム1000で愛知川宿を走り抜け、近江鉄道の豊郷駅の近くまで来ると、「伊藤忠兵衛記念館」(入館無料)がある。ここは伊藤忠商事、丸紅という日本を代表する商社の創業者、伊藤忠兵衛の生家。記念館の入口には、次のように書かれている。

伊藤忠商事、丸紅の創始者・初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念して、初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が生まれたここ豊郷本家を整備、伊藤忠兵衛記念館と命名して、一般公開することになりました。初代及び二代忠兵衛の愛用の品をはじめ、様々な資料を展示して繊維卸から「総合商社」への道を拓いたその足跡を紹介しています。この旧邸は、初代忠兵衛が生活していた頃そのままの形で残され、その佇まいからは近江商人忠兵衛の活況ある当時の暮らしぶりやそれを支えてきた初代の妻・八重夫人の活躍を偲ぶことができます。また、ここで生まれた二代忠兵衛は、母である八重夫人の教育もあり、国際的なビジネスを展開し、現在の「総合商社」の基礎を築きました。近江商人のスピリットを先進的な感覚を合わせて世界という舞台にのせた初代忠兵衛と二代忠兵衛、そして八重夫人のルーツにふれながら、その偉大な業績を讃え、末永く後世に語り継いでいきたいと思います。

 伊藤忠兵衛の生家近くの「くれない公園」は、伊藤長兵衛家の屋敷跡。そこには九代目伊藤長兵衛(1868〜1941年)の偉業を讃える碑が建っている。それには次のように書かれている。

滋賀県犬上郡河瀬村大字犬方の若林又三郎の三男として生まれた。幼名は長次郎。16歳で伊藤長兵衛商店に入り、22歳のとき六代目伊藤長兵衛の養子になり、1892年その子女やす子と結婚、その翌年九代目伊藤長兵衛を襲名した。そして伊藤長兵衛商店を順調に発展させ、1921年伊藤忠商店と合併して株式会社丸紅商店を設立し、初代の社長に就いた。(後略)

「くれない公園」というのは、丸紅にちなんだ公園名なのだろう。まあ、それはともかく日本の巨大商社2社の誕生の地を見たところで、さらに旧中山道を走り、次の高宮宿まで行く。犬上川にかかる「無賃橋」を渡ると高宮宿だ。橋の袂には「むちんばし」と彫り刻まれた石標が残っている。この橋は川渡しや橋が有料だった時代から無料だったので「無賃橋」と呼ばれたという。

 高宮宿は中山道の宿場の中でも有数の規模の大きさで、本陣1、脇本陣2、旅籠は23軒を数えたという。ここは多賀大社の門前町としても栄え、宿場内には多賀大社の一の鳥居が立っている。高宮宿の特産品といえば「高宮上布」。室町時代からの高宮上布の集散地としても栄えた。

 近江鉄道の高宮駅前まで行き、そこで折り返し、国道8号の愛知川宿入口まで戻った。

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▲愛知川宿の入口

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▲愛知川宿を行く

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▲愛知川宿の「竹平楼」

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▲愛知川宿の町並み

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▲中山道69次の愛知川宿

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▲伊藤忠兵衛記念館

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▲伊藤長兵衛家の屋敷跡

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▲高宮宿入口の無賃橋

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▲高宮宿の入口

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▲高宮宿を行く

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▲高宮宿の多賀大社一の鳥居

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