カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[44]

投稿日:2016年1月7日

おくの細道素龍清書本

2015年9月23日(東京〜鹿児島)

「愛知川宿〜高宮間」の旧中山道を往復して国道8号に戻ると、国道沿いの「松屋」で朝食を食べる。彦根を過ぎたところでは旧中山道に入り、鳥居本宿に寄っていく。宿場の風情の残る鳥居本宿には、旅の携帯胃薬「赤玉神教丸」の販売元、有川家の建物が残っている。その前にV−ストローム1000を止めて記念撮影。ここにはかつては、何軒もの「神教丸」を売る店があったという。

 鳥居本宿を過ぎたところが中山道と北国街道の追分。ここからの国道8号は北国街道に相当する。長浜と木之本と北国街道の宿場に立ち寄り、湖北の琵琶湖畔からは福井県境の峠へ。県境の峠に名前はついていない。福井県側の峠近くの旧道沿いには新道の集落があるので、「新道の峠」といわれることもある。

 県境の峠には峠茶屋の「孫兵衛」がある。新道の西村家がやっている店。ここはすごいところで、西村家というのは国の重要文化財にもなっている「おくの細道素龍清書本」を所蔵している旧家なのだ。芭蕉は「奥の細道」の旅を終えると、5年もの歳月をかけて『おくのほそ道』を書き上げた。それは推敲に推敲を重ねたもので、芭蕉の晩年のすべてをかけた本といっていい。それを能書家の素龍に清書させたものが「素龍清書本」。芭蕉はその清書本を頭陀袋に入れ、伊賀上野にいる兄に贈った。「おくの細道素龍清書本」は芭蕉の旅と同じように、その後、数奇な運命をたどることになる。次々と所有者が変わり、最後に敦賀・新道の西村家の所蔵となった。文化元年(1804年)の頃だといわれている。「素龍清書本」が「西村本」といわれるのはそのためだ。

 西村家には大変失礼なことだが、「何で、よりによって…、ここなの?」といいたくなるような所に残っている。峠茶屋「孫兵衛」の店の奥には「素龍清書本」(複製版)がガラスケースの中に入れられ、展示されている。それを初めて目にしたときは「すごいものを見た!」という感動で、体が震えたものだ。原本は西村家の土蔵に保管されているという。

 峠茶屋の「孫兵衛」で名物の「とろろそば」を食べ、県境の峠を越えて福井県に入る。

 滋賀・福井県境の峠を下ったところが「愛発」。東海道の鈴鹿関、東山道の不破関と並ぶ日本の古代三関のひとつ、北陸道の愛発関はこのあたりに置かれたのではないかといわれている。愛発には旧愛発村役場の門柱が残されている。

 愛発を後にし、敦賀の町に入っていく。コンビニで福井の郷土紙の「福井新聞」を買って読み、越前の一宮の気比神宮を参拝した。

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▲「松屋」の朝食

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▲旧中山道の鳥居本宿

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▲旧北国街道の長浜宿

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▲旧北国街道の木之本宿

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▲滋賀・福井県境の峠上の「孫兵衛」

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▲「孫兵衛」の「とろろそば」

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▲旧愛発村役場の門柱

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▲敦賀の町に入っていく

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▲敦賀のコンビニで「福井新聞」を読む

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▲敦賀の気比神宮を参拝

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