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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

V-Strom1000で行く日本[48]

投稿日:2016年1月12日

次は7と4

2015年10月5日(東京〜青森)

 10月5日、東京を出発。スズキのV−ストローム1000を走らせての「123・1098・74」を完成させるのだ。すでに東京から国道1号→国道2号→国道3号で鹿児島へ。鹿児島から国道10号→国道9号→国道8号で新潟までは走った。残るは7と4。新潟から国道7号で青森へ、青森から国道4号で東京へと走るのだ。

「東京→新潟」間では三国街道を走った。

 関越道で高崎ICまで行き、高崎市内の本町1丁目の交差点に立った。そこが中山道と三国街道の追分(分岐点)。高崎から三国街道を走り始める。まずは県道25号で渋川へ。渋川からは県道36号で中山峠を越え、中山宿へ。そこには本陣が残っている。中山宿の本陣は文政年間(1818年〜1830年)に焼失したが、長岡藩主をはじめとして、三国街道筋の荷主飛脚問屋などからの寄進で復興したという。本陣にはその当時の書院が残されている。本陣奥の大欅は樹齢600年。高さ30メートル、根回り13メートルという大木だ。

 中山宿から赤根峠を越えて国道17号に合流。そこは下新田宿。国道17号沿いには塩原太助の生家と塩原太助公園がある。塩原太助公園には太助と愛馬あおの別れの像が建っている。

 下新田宿は江戸時代の豪商、塩原太助生誕の地。太助はこの地から江戸に出て、薪炭商で大成功をおさめた。

 その立志伝が広く世に知られるようになったのは、明治初期の落語家、三遊亭円朝作の人情噺「塩原太助一代記」が大ヒットした以降のことだ。なかでも太助が幼い頃から飼った愛馬あおを松の枝につなぎ、江戸に旅立つシーンには多くの人が涙した。それで塩原太助公園の像も太助とあおの別れの像なのである。塩原太助公園の前にある「塩原太助記念館」(入館料300円)を見学すると、太助の立志伝がどういうものなのかがよくわかる。

 群馬県でよく知られた名菓というと「多助俵最中」だが、これも太助に因んだ炭俵を模した最中。今でも上州人の心の中には塩原太助が生きている。

 下新田宿から国道17号を行く。猿ヶ京では関所資料館(入館料300円)を見学。ここには何通もの通行手形が展示されている。茶色に変色した通行手形は関所に残されていたもので本物だ。そのあと猿ヶ京温泉の共同浴場「いこい乃湯」(入浴料300円)にどっぷりつかった。入浴客はぼく一人なので湯船を独占。そして三国峠を越えて新潟県に入った。

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▲関越道の新座料金所を出発

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▲関越道の高崎ICに到着

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▲ここが高崎の本町1丁目の交差点

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▲渋川の町に入っていく

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▲中山峠を越える

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▲中山宿の本陣

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▲塩原太助公園の「塩原太助と愛馬あお別れの像」

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▲「塩原太助記念館」を見学

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▲猿ヶ京の「関所資料館」を見学

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▲猿ヶ京温泉の共同浴場「いこい乃湯」

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▲「いこい乃湯」に入る

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▲三国峠のトンネルに突入!

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