奥の細道紀行[72]
投稿日:2016年12月11日
秋の気配を想像しつつ
山中温泉で曽良と別れた芭蕉は、金沢から同道している俳人、北枝とともに小松に戻った。その途中で那谷寺に寄っている。
山中の温泉に行くほど、白根が岳跡に見なして歩む。左の山際に観音堂あり。花山法皇、三十三の巡礼とげさせたまいて後、大慈大悲の像を安置したまひて、那谷と名付けたまふとや。那智・谷汲の二字を分かちはべりしとぞ。奇石さまざまに、古松植ゑ並べて、茅葺きの小堂、岩の上に造り掛けて、殊勝の土地なり。
石山の石より白し秋の風
ここで芭蕉が「山中の温泉」といっているのは山中温泉のことである。「白根が岳」は歌枕で白山をいう。「跡」は「後」で、白山を振り返りながら歩いている様をいっている。「左の山際の観音堂」は那谷寺になる。
花山法皇(968年〜1008年)の「三十三の巡礼」というのは「西国三十三ヵ所めぐり」の巡礼のことで、那智というのは第1番札所の青岸渡寺、谷汲というのは第33番札所の華厳寺のことである。花山法皇が「大慈大悲の像」(観音像のこと)をこの地に安置し、その際、那智と谷汲から1字づつとって「那谷」と名づけたと、芭蕉はいっている。
ところで『おくのほそ道』では小松を出発すると那谷寺に寄って山中温泉に行ったことになっている。そこで曽良と別れ、曽良がひと足先に大聖寺に行き、芭蕉が後を追っていくようなストーリーだ。だが実際には前回もふれたように、小松から北国街道経由で動橋へ。そこから山代温泉経由で山中温泉に行き、曽良と別れた。曽良は大聖寺へ。芭蕉は那谷寺に寄って小松に戻り、再度、北国街道で大聖寺に向かっているのだ。
つまりは作品上の脚色をしているということである。しかしそれはある意味、どうでもよいことで、我々は素直に『おくのほそ道』を読み進んでいったらいいのだと思う。
ということでカソリは山中温泉から小松へ、スズキST250を走らせる。その途中では那谷寺参詣だけでなく、山代温泉と粟津温泉にも立ち寄った。
まずは山中温泉から再度、山代温泉へ。ここは加賀屈指の大温泉地、山代温泉では温泉街の中心にある総湯「山代温泉浴殿」(入浴料370円)の湯に入った。大浴場には2つの大きな円形の湯船。加賀では温泉街の中心となる共同浴場を「総湯」といっている。信州の「大湯」のようなものだ。
山代温泉からは国道8号の1本南側、山裾の県道11号を行く。森、勅使といった集落を通っていくが、この道が「芭蕉の道」だ。
那谷の集落の南にある那谷寺へ。
那谷寺に到着すると大駐車場にST250を停め、拝観料の600円を払い、山門をくぐり抜けて境内に入っていく。那谷寺の寺域は広大だ。
まずは入ってすぐの金堂を参拝。見上げるような大きさの十一面観音がまつられている。那谷寺は「北陸三十三ヵ所」第12番の札所にもなっている。緑濃い参道を歩き、次に岩窟内の本殿を参拝。そこには千手観音がまつられている。まわりの奇岩の岩山は芭蕉の句にもあるように白っぽい。三重の塔には大日如来像がまつられている。穏和ながらも、ちょっと顔をしかめたような表情の大日如来が心に残る。そして苔むした芭蕉の句碑を見る。こうして那谷寺をぐるりと歩いたあとで見ると、「石山の石より白し秋の風」の句はよけいに心にしみた。
芭蕉が那谷寺にやってきたのは旧暦の8月6日。今の暦でいえば9月19日になる。那谷寺の季節は夏から秋に変り、白い秋風が吹きぬけていた。
那谷寺の参拝を終えると、門前の店で「那谷寺そば」(1000円)を食べる。山菜、キノコ、胡麻豆腐と具だくさん。名残おしい那谷寺をあとにし、北陸最古の歴史を誇る粟津温泉では共同浴場の「総湯」(入浴料350円)に入り、さらに県道11号を行く。国道8号を横切り、そして小松の町中に入っていった。