東北四端紀行[36]
投稿日:2017年4月5日
西端編 4 湯めぐりはさらにつづく
昭和村から会津川口に戻ると、再度、只見川沿いの国道252号を行く。スズキDR−Z400Sを走らせての、「東北西端の温泉めぐり」はつづく。
金山町の一軒宿の沼尻温泉は廃業していた。
金山町から三島町に入った。三島町では第8湯目の早戸温泉「つるの湯」(入浴料500円)と第9湯目の宮下温泉「桐の湯」(入浴料420円)の2湯に入った。
西山町から柳津町に入った。柳津町では第10湯目の西山温泉「せいざん荘」(入浴料300円)と第11湯目の柳津温泉「つきみが丘町民センター」(入浴料300円)の2湯に入った。
こうして只見川とその支流沿いの温泉を全部で15湯めぐったが、そのうち11湯に入ることができた。
柳津では「日本三虚空蔵」のひとつに数えられている福満虚空藏菩薩圓藏寺を参拝。そこからは只見川の流れを見下ろせる。参拝が終わると、門前で名物「粟饅頭」を食べた。
柳津町から会津坂下町に入り、国道49号に合流。七折峠のトンネルを抜けたところで旧道に入り、「会津三十三ヵ所」の立木観音を参拝。ここは会津三十三ヵ所の中でも、とくに「会津三ころり観音」といわれているので参詣者が多い。今の時代、「ピンピンコロリ」の人生を願っている人がいかに多いかを物語っているかのような立木観音だ。
会津板下に着くと国道49号を左折し、4キロほど行ったところにある津尻温泉の一軒宿「滝の湯」に泊まった。ここは我が定宿のようなところで、いまままでに何度も泊まっている。その中でもとくに忘れられないのは、我が「20世紀最後のツーリング」で泊まった時のことだ。
2000年12月27日〜28日で20世紀最後のツーリングに行った。それは「いわき→新潟」の本州横断。バイクは1999年に「日本一周」を走り、2000年には「サハリン縦断」と「韓国一周」を走ったスズキDJEBEL250のGPSバージョンだ。20世紀の最後に雪道に挑戦したかったのだ。
東京からいわきまでは常磐道を走ったが。抜けるような青空で雲ひとつない晴天。いわきの空も、若干、雲はあったが晴天だった。ここから本州横断の国道49号で新潟を目指した。阿武隈山地に入ると強烈な寒さ。長沢峠あたりが寒さのピーク。だが寒さは厳しいものの雪はほとんどなかった。郡山に着くと天気はガラリと変わり、いまにも雪が降り出しそうな曇り空。そこから難関の中山峠に向かっていくと、磐梯熱海あたりから雪道になった。幸い転倒もせずに無事、中山峠を越えて会津に入った。
夕暮れになり、気温がガクンと下がってからが地獄。あっというまに路面は凍結し、最初のアイスバーンで転倒。2、30メートルくらいは滑った。その後、2度、転倒。ツルンツルンのアイスバーンにはまったく歯が立たたなかった。会津若松は雪だった。ボソボソと降りしきる雪をついて走り会津板下へ。そして津尻温泉へ。一軒宿の「滝の湯」に着いた時は、「助かった〜!」と思わず声が出た。湯につかった時は、まさに生き返るような思いだった。
翌日は朝から激しい雪だった。津尻温泉から国道49号に出るまでの4キロは雪との大格闘。国道49号に出てからも、七折峠、藤峠、車峠、鳥井峠と峠越えでは雪との大格闘の連続だった。下手に転倒すると対向車や後続車にやられてしまうので、たえずバックミラーを見ながら走った。といっても降りしきる雪で視界がほとんどない状態なので、対向車や後続車の確認がきわめて難しい。新潟県に入り、津川の町の着いたときは心底ホッとした。津川から新潟までは会津に比べるとうそのように楽だった。
「東北西端の温泉めぐり」を終えて、津尻温泉の湯にどっぷりつかっていると、そんな思い出がつい昨日のことのようによみがえってくる。湯から上がると、まずはビールを飲み干し、そのあとで夕食。明日は会津板下ICから磐越道で新潟へ。そこからもうひとつの東北西端の地、鼠ヶ関を目指すのだ。