ジクサー150分割日本一周[190]
投稿日:2021年5月12日
「函館西部地区の街並み」をまわる
立待岬の駐車場からは、海越しに、函館の町並みを見る。背後の横津岳(1167m)から袴腰山(1108m)にかけての山並みもよく見える。
立待岬を出発すると、函館山の北側を縫って北海道遺産にもなっている函館西部地区へ。カトリック教会からハリストス正教会、外人墓地と見てまわった。
函館は日本で最初に開港した港のひとつ。そのため文明開化の波は、いちはやくこの港町に押し寄せた。
江戸時代の日本は200年以上もの長い間、鎖国の夢をむさぼった。その夢が、嘉永6年(1853年)、浦賀沖にやってきた4隻の黒船によって破られた。ペリーに率いられたアメリカの軍艦で、日本は開国を強く要求された。
翌年(安政元年)、ペリーは再びやってきた。幕府はその圧力に屈し、日米和親条約を結ぶ。条約の主な内容はアメリカ船に食料や燃料を供給すること、下田、箱館(函館)の2港を開き、領事の駐在を認めること、アメリカに最恵国待遇を与えることなどであった。つづいてイギリス、ロシア、オランダとも同様の条約を結び、徳川幕府の鎖国政策は崩壊した。
アメリカは総領事のハリスを下田に駐在させた。ハリスは幕府に通商条約の締結を迫り、黒船が来てから5年、安政5年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれた。それによって下田、箱館(函館)のほかに、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)を開港する、江戸(東京)と大坂(大阪)を開市することになった。
箱館、横浜、長崎の3港が最初の開港場になり、のちにそれに神戸が加わった。
函館にはこのような、日本の玄関口になった時代がある。その歴史が函館の大きな魅力になっている。