カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[190]

投稿日:2021年5月12日

北海道一周編 8(2020年4月11日)

「函館西部地区の街並み」をまわる

立待岬から見る函館

立待岬から見る函館

函館山の山道から見る函館

函館山の山道から見る函館

函館西部地区の街並み

函館西部地区の街並み

カトリック教会

カトリック教会

ハリストス正教会

ハリストス正教会

八幡坂。函館の坂の風景

八幡坂。函館の坂の風景

 立待岬の駐車場からは、海越しに、函館の町並みを見る。背後の横津岳(1167m)から袴腰山(1108m)にかけての山並みもよく見える。

 立待岬を出発すると、函館山の北側を縫って北海道遺産にもなっている函館西部地区へ。カトリック教会からハリストス正教会、外人墓地と見てまわった。

 函館は日本で最初に開港した港のひとつ。そのため文明開化の波は、いちはやくこの港町に押し寄せた。

 江戸時代の日本は200年以上もの長い間、鎖国の夢をむさぼった。その夢が、嘉永6年(1853年)、浦賀沖にやってきた4隻の黒船によって破られた。ペリーに率いられたアメリカの軍艦で、日本は開国を強く要求された。

 翌年(安政元年)、ペリーは再びやってきた。幕府はその圧力に屈し、日米和親条約を結ぶ。条約の主な内容はアメリカ船に食料や燃料を供給すること、下田、箱館(函館)の2港を開き、領事の駐在を認めること、アメリカに最恵国待遇を与えることなどであった。つづいてイギリス、ロシア、オランダとも同様の条約を結び、徳川幕府の鎖国政策は崩壊した。

 アメリカは総領事のハリスを下田に駐在させた。ハリスは幕府に通商条約の締結を迫り、黒船が来てから5年、安政5年(1858年)に日米修好通商条約が結ばれた。それによって下田、箱館(函館)のほかに、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)を開港する、江戸(東京)と大坂(大阪)を開市することになった。

 箱館、横浜、長崎の3港が最初の開港場になり、のちにそれに神戸が加わった。

 函館にはこのような、日本の玄関口になった時代がある。その歴史が函館の大きな魅力になっている。

外人墓地ロシア人墓地赤レンガの金森倉庫街

外人墓地 ロシア人墓地 赤レンガの金森倉庫街

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