ジクサー150分割日本一周[249]
投稿日:2021年10月29日
国道239号の霧立峠
幌加内の町から国道275号を北上。国道239号に出ると、そこには「幌加内そば」の「霧立亭」がある。『ツーリングマップル北海道』にも載っている人気の店で、手打ちの「天ざる」を食べた。ちなみに幌加内は、日本一のソバの生産量を誇っている。
「霧立亭」の「天ざる」に満足したところで、国道239号で霧立峠に向かっていく。いかにも北海道というような直線路がズバーッと延びる峠道。交通量は極少で我が道を行くような気分でジクサー150を走らせる。
高度を上げるにつれて雪が多くなり、一面の雪景色に変わっていく。先ほどの幌加内峠越えの国道275号同様、国道239号の路面にも雪はなく、アイスバーンもない。
標高380メートルの霧立峠に到達。峠上の霧立峠PAでジクサー150を止めた。
霧立峠は幌加内町と苫前町の境。幌加内町の町名表示板には雪マークと「−41・2」の数字が表示されている。
1978年2月17日、幌加内町の母子里で氷点下41・2度を記録した。これが日本の最低気温になっている。
ぼくはこの年、ハスラー50を走らせて「日本一周」をしたが、山形県の酒田では8月3日に40・1度を記録した。その直後の酒田はすごいことになっていた。道路のアスファルトが溶け、センターラインや横断歩道の白線は、まるで子供がいたずら書きをしたかのようなグニャグニャの線になっていたのだ。
それまでの日本の最高気温は1933年7月25日に同じ山形県の山形で記録した40・8度だったので、酒田の40・1度は当時としてはそれに迫る第2位の記録。41度台を次々に記録しているのはつい最近のことだ。
まあ、それは置いて、日本という国は夏と冬では80度以上もの気温差があるということを思い知らされた1978年だった。