カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

ジクサー150分割日本一周[250]

投稿日:2021年10月30日

北海道一周編 68(2020年4月17日)

小平の鰊番屋

霧立峠から苫前に下っていく

霧立峠から苫前に下っていく

苫前で国道232号に出る

苫前で国道232号に出る

日本海沿いの国道232号を南へ

日本海沿いの国道232号を南へ

青い海と青い空!

青い海と青い空!

国道232号の道の駅「おびら鰊番屋」

国道232号の道の駅「おびら鰊番屋」

道の駅「おびら鰊番屋」から見る日本海

道の駅「おびら鰊番屋」から見る日本海

道の駅「おびら鰊番屋」の松浦武四郎像

道の駅「おびら鰊番屋」の松浦武四郎像

 国道232号の霧立峠から日本海に下っていく。苫前で国道232号に出ると南へ。日本海を見ながらジクサー150を走らせる。

 苫前町か小平町に入ると、道の駅「おびら鰊番屋」で止まる。海辺には北海道遺産の松浦武四郎の像が建っている。海が青い!

 ここでは鰊番屋の「旧花田家番屋」を見学する。とてつもない大きさで、現存する鰊番屋としては道内でも最大規模。花田家は北海道でも屈指の鰊漁家で、最盛期には18ヵ統のニシンの定置網を持っていた。この鰊番屋では5ヵ統の定置網の漁夫のほかに、船大工とか鍛冶職人、屋根職人など200人もの人たちが生活していたという。

 明治中期に建てられた「花田家鰊番屋」は現在、資料館になっているが、「木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大。玄関から奥に土間を通し、その北側に親方の住居部分を、南側には漁夫の生活部分をもうけ、漁夫の寝台を中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成である」と、説明書に書かれている。

 面積は1階が801平方メートル、2階が105平方メートル。合計すると906平方メートルの豪壮な建物。この小平の「旧花田家鰊番屋」につづく現存する鰊番屋というと、寿都の佐藤家番屋が741平方メートル、小樽の鰊御殿が638平方メートルになる。

 小平の鰊番屋が群を抜いて大きいのがよくわかる。

 展示されている明治から大正にかけての、ニシン漁最盛期の頃の写真がすごい迫力。春先のニシン漁の季節になると、小平の海は群れるニシンで盛上がり、海の色は乳色に変ったほどだという。それらの写真は「千石場所」といわれた小平の浜をよみがえらせてくれる。漁獲されたニシンの大半は肥料用として魚粕にされたが、写真を見ると、番屋の前は広々とした干し場になっている。

 展示されている年代別のニシンの漁獲量を見ると、明治中期から減りはじめ、獲れる年と獲れない年の差が大きくなり、昭和10年代になると激減する。昭和19年前後に盛り返すが、昭和29年を最後にほとんど獲れなくなり、ニシンは幻の魚になってしまった。

 鰊番屋の見学を終えると、道の駅のレストランでニシンとカズノコの「にしん丼」を食べた。

「ヤン衆のいぶき」を感じられる鰊番屋豪壮な建物の小平の鰊番屋小平の鰊番屋を見学

「ヤン衆のいぶき」を感じられる鰊番屋 豪壮な建物の小平の鰊番屋 小平の鰊番屋を見学

小平の鰊番屋に展示されている鰊漁の網鰊漁で活況を呈していたころの浜の様子道の駅「おびら鰊番屋」の「にしん丼」

小平の鰊番屋に展示されている鰊漁の網 鰊漁で活況を呈していたころの浜の様子 道の駅「おびら鰊番屋」の「にしん丼」

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