第15回 熊野三山
投稿日:2011年1月5日
2010年 林道日本一周・西日本編
黒潮に乗って日本全国に熊野信仰が伝わった
十津川から国道168号を南下。奈良県から和歌山県に入り、熊野本宮大社の前でスズキDR-Z400Sを停める。
「さー、熊野三山めぐりの開始だ!」
熊野三山というのは本宮の熊野本宮大社と新宮の熊野速玉大社、那智の熊野那智大社の3宮。その中でも序列があり、熊野本宮大社が首位を占め、全国に3000社以上もある熊野神社の総本宮になっている。
2004年7月に熊野参詣道が世界遺産に登録されてからというもの、熊野三山をめぐる人の数はぐぐぐっと増えた。それも驚異的な増え方。老若男女が何台もの観光バスで乗りつけ、熊野古道を歩いている。外国人の姿も多く見られる。
熊野本宮大社にやってきて、ひとつ驚かされたのはここが本宮町ではなく、田辺市になっていたことだ。平成の大合併で田辺を中核として周囲の2町、2村が合併して新しい田辺市になったのだが、田辺といったら白浜温泉のすぐ近くではないか。山また山の本宮とはあまりにも違う世界。
「(それなのに)何で本宮が田辺市なの???」
と、思わず声が出てしまった。新宮市との合併なら「熊野三山」つながりでまだ理解できるが…。
まあ、それはおいて、さっそく熊野本宮大社を参拝。「熊野権現」の奉納旗がたなびく石段を登っていく。この熊野権現の奉納旗でもわかるように、熊野は今だに神仏混淆の色彩を濃くとどめている。
石段を登りきったところには、「全国熊野神社分布表」の看板。それがじつに興味深かった。
千葉の268社を筆頭に福島、愛知がベスト3。そのあと栃木、岩手、熊本、新潟、山形、宮城とつづき、埼玉までがベスト10になる。これら熊野神社分布のベスト10というのは熊本を除けばすべて東日本、それも太平洋側に偏っている。熊野信仰が黒潮に乗って全国に伝わっていったことがよくわかる「全国熊野神社分布表」だった。
豪壮な造りの神門をくぐりぬけ、熊野本宮大社に参拝。熊野権現造りの社殿は4殿から成っている。
西御前の第1殿には熊野牟須美(くまのむすみ)大神、同じく西御前の第2殿には御子速玉(みこはやたま)大神、本殿の第3殿には家津美御子(けつみみこ)大神、東御前の第4殿には天照(あまてらす)大神がまつられている。主神の家津美御子大神というのはスサノオ尊のことだ。
驚く程の大きさに「目をみはる」から「めはりずし」!?
熊野本宮大社の参拝を終えると、門前の茶屋で郷土食の「めはりずし」を食べた。
高菜の漬物の茎を細かく刻んで飯に混ぜ、それでお握りをつくり、残りの葉で包み込んだもの。熊野本宮大社門前のめはりずしは2口、3口で食べられてしまうようなかわいらしいものだが、本当のめはりずしというのはソフトボールの球ぐらいの巨大なものだ。
めはりずしは山地の食べ物で、山仕事などに持っていく弁当だった。南紀のツーリングではいつも熊野三山をめぐっているが、那智大社周辺の山村をまわったときのことだ。
色川という集落でバイクを停めたとき、たまたま「兄さん、お茶でも飲んでいきなさいよ」と声をかけてくれたオバチャンがいた。ありがたくお茶を飲んでいると、「残りものだけど」といってめはりずしを出してくれたのだ。そのときの驚きといったらない。
あまりにも大きいのだ。巨大なのだ。
めはりずしというのは、その大きさのあまり、目をぱちくりするところから名づけられたという説もあるが、まったく同感。それほど大きかった。
熊野本宮大社の門前で色川のオバチャンを思い出すのだった。
本宮からは紀伊半島縦貫の国道168号で新宮へ。
新宮では紀伊半島一周の国道42号のすぐそばにある熊野速玉大社を参拝。
ここで目についたのは皇族たちの「熊野御幸」の碑だ。延喜7年(907年)の宇多上皇を皮切りに、約300年にわたって法皇、上皇らの「熊野御幸」はつづき、その回数は100数十回にも及んだという。
熊野速玉大社の「熊野御幸」の碑には、宇多上皇一度、花山法皇一度、白河上皇十二度、鳥羽上皇三十三度…と上皇や法皇の「熊野御幸」の回数が記されている。
最後に日本一の那智の滝を見て熊野那智大社を参拝。熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社の「熊野三山」をめぐり終えると本宮に戻った。