アイヌ文様
投稿日:2009年11月26日
アイヌ文化を知るなら「ポロトコタン」
登別から国道36号で白老に行き、「ポロトコタン」へ。
「ポロトコタン」とはアイヌ語で「大きな湖の集落」の意味。その名前通りのポロト湖があり、湖畔には黒湯のポロト温泉もある。
「ポロトコタン」に入っていく。
アイヌ文様の衣装などが売られているショッピング街を抜け、「アイヌ文化博物館」(入館料700円)を見学する。入口には高さ16メートルのコタンコルクル(村長むらおさ)像。右手には「イナウ(木の御幣)」を持っている。
園内にはアイヌの家(チセ)が5棟あり、そこではアイヌの伝統芸能や伝統工芸の実演を見られる。アイヌの代表的な伝統工芸といえばアットゥシ織だ。オヒョウの樹皮から繊維をとり、北海道遺産にもなっているアイヌ文様を施して着物などに仕立て上げていく。白老のポロトコタンを見学したのは午後の2時ごろ。かわいそうなくらいにガラーンとし、人影もまばらだった。
ぼくが初めて白老の「ポロトコタン」を見たのは1978年の我が「30代編日本一周」のときのこと。そのときはすごかった。駐車場にはズラーッと観光バスが並び、大勢の観光客たちがゾロゾロと「ポロトコタン」に入っていった。
みやげもの店が軒を連ねる建物に一歩入ると、
「ちょっと、のぞいていきなさいよ」とか、
「そこのオートバイのお兄さん、寄っていってちょうだい」
といった声を盛んにかけられた。
みやげもの店のおばちゃんたちの声を振り切り、入館料の200円を払って「ポロトコタン民俗資料館」(今の「アイヌ文化博物館」)を見学。アイヌの家(チセ)ではアイヌ文様の民族衣装を着た古老の話を聞けたし、イヨマンテ(熊祭)の歌や踊りを見聞きすることができた。アイヌ特有の口にふくんで奏でる楽器、ムックリのピヨーン、ピヨーンという音色がいつまでも耳に残った。
観光色の強い「ポロトコタン」ではあったが、ぼくの心には強い印象となって残った。そんなこともあって、その後も何度か、「ポロトコタン」には行った。それが…、行くたびに入場者数が減っている。アイヌ文化を知るのには、すごくいいアイヌコタンだと思うのだが…。
さて、北海道遺産のアイヌ文様だが、白老の「ポロトコタン」のあとは、二風谷の「萱野茂二風谷アイヌ資料館」や「平取町立二風アイヌ文化博物館」、旭川・近文の「川村カ子ト(かわむらかねと)アイヌ記念館」などで見ることができた。
「カブタンとノンタンの北海道遺産」では次ぎのようにアイヌ文様が紹介されている。
全身アイヌ文様のカブタン、結構、かわいいかも~♪
アイヌ文様の特徴的なのは、渦巻き模様(モレウ)と括弧型模様だそうです。
渦巻き模様は川の流れとか、風とか、木々の様子から生まれたとも言われています。
なるほどー!
括弧型模様はとげとげの模様で、魔よけの意味もあるとか…。だからとげとげ模様は衣服の袖口とか裾とかに施されて、悪霊が入らないように守っていると聞いたことがあります。
母から娘へと伝えられるアイヌ文様の刺繍って、一針一針、心をこめて、縫われていくのですねー。
このようなカブタンのコメントとともに、旭川市博物館所蔵のアイヌ文様の写真が何枚か掲載されている。
「アイヌの口承文芸」の項でもふれた日本観光文化研究所発行の『あるくみるきく』(1973年10月号)には、アイヌ文化研究家の萱野茂さんは「アイヌ文様」について次のように書かれている。
アツシ(オヒョウの木の皮の繊維でつくった着物)の模様は、もともとは衿まわり、袖まわり、裾まわりにつけた。なぜそんなところにつけたのか、たぶんそういうところから魔物が体に入って来ないようにしたのだろう。おれたちの子どものころ、山の畑に草とりに行ったとき、畔に赤ちゃんを寝かせて置くんだけど、その赤ちゃんのまわりに、荷物を背負う縄でぐるりと囲っておくんだ。そうすると蛇が来ても、どんな魔物が来ても、その縄を越えないもんだとアイヌは信じていたんだな。
アイヌの縄は、シナの木の皮などで編んだものなんだけど、縄というものをアイヌが、といより人類が発明したということは、大へんな発明だったと思うね。アツシを織る糸も、オヒョウの木の皮の繊維を縒ってつくるんだけど、この縒るということも大へんな発見だね。縒りをかけていない糸は、アツシを織る場合にひっかかって困るし、長持ちもしない。縄も同じような発見だね。
話がそれたけど、アツシの模様は、木綿糸と色布を使って刺繍するわけなんだけど、そういう材料がなかった時代にはどうしていたんだろう。たぶん鹿などの動物の皮と、鹿のアキレス腱なんかを使ったんだろうと思うね。衿や袖口や裾などを補強するために、刺繍するというより皮をはぎ合わせているうちに、鹿のアキレス腱をとっておいて、それを細かく裂いて糸にしたんじゃないかな。