カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群

投稿日:2009年12月6日

老朽化でついに崩壊!?

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「300日3000湯」のときに見たタウシュベツ川橋梁


 日高の静内をあとにし、国道235号で海岸線を行く。
 国道に沿ってJR日高本線が走っている。単線の線路を1両編成の列車が浦河に向かって走っていく。 
 日高の海を見ながらスズキDR-Z400Sを走らせ、三石の三石昆布温泉「歳三」の湯に入り、浦河に到着。浦河駅は中心街手前の国道沿いにあるが、寂れた感はいなめない。
 日高本線はさらに日高の海岸線を走り、様似が終点になる。
 当初の計画ではさらに東へ、日高から十勝に入り、広尾で広尾線に接続するはずだった。だが、「様似⇔広尾」間は未開業のままで終った。
 浦河からは国道236号を行く。日高山脈を全長4232メートルという北海道最長の国道トンネルで抜け、十勝に入っていく。広尾に近づくと、風景は一変し、目の前には大平原が広がっている。

 広尾に到着すると、1987年に廃線となった広尾線の終着駅、広尾駅まで行く。鉄路こそ消えたが、今はバスターミナルになっている。
 広尾線は「帯広⇔広尾」間の84キロの路線だったが、1967年から1975年までの間は帯広で士幌線に乗り入れ、糠平までの臨時急行「大平原」が走っていたという。
 帯広からは国道241号で上士幌へ。十勝の桁外れに広い平原を行く。そして上士幌からは273号でその糠平へ。平原から山中に入った糠平の周辺に北海道遺産になっている旧国鉄士幌線のコンクリート製アーチ橋梁群がある。
 その中でも何といっても目玉はタウシュベツ川橋梁だ。
 さっそくタウシュベツ川橋梁が見られる地点まで行ったが、そのときの驚きといったらない。
 何と跡形もなく、きれいさっぱりと消え去っているではないか…。
「どうして、どうして…」と思わず声が出た。
 2006年?2007年の「300日3000湯めぐり」のときは幌加温泉、岩間温泉に入ってここに来たが、ローマの水道橋を思わせる橋梁の美しさにはしばらくは見入ってしまった。その橋がなくなっている。
 かなり老朽化が進んでいたので、きっと崩落したのだろうと自分勝手に想像し、糠平に戻った。
 そこで地元の方に話しを聞いて納得。人造湖の糠平湖が増水し、タウシュベツ川橋梁は湖底に沈んだのだという。謎が解き明かされて、すごくほっとした。湖底に沈んだのでは仕方ない。気持ちが楽になったところで、タウシュベツ川橋梁の変わりに、国道沿いの三ノ沢橋梁を見に行った。

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十勝の大平原
タウシュベツ川橋梁は水の中…


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三の沢橋梁
三の沢橋梁


次は鉄道で北海道一周を…

 ぼくが初めて北海道を一周したのは1978年。
 我が「30代編日本一周」のときのことで、そのときはまだ北海道の鉄道はほぼすべての路線が健在だった。
 50?バイクのスズキ・ハスラー50を走らせての「北海道一周」だった。全泊野宿という超貧乏旅行で、興浜南線の栄丘駅や深名線の母子里駅といったローカル線の駅舎を使わせてもらって駅泊したこともある。
 栄丘駅ではオホーツクの波の音を聞きながら眠った。
 母子里駅では9月とは思えないような寒さに震えて眠った。
 話は横道にそれるが、1978年というのは大変な年で、母子里では2月27日に氷点下41.2度を記録し、日本の最低記録を打ち立てた。8月3日には山形県の酒田で40.1度を記録した。その直後に酒田を走ったが、アスファルトは溶け、センターラインがグニャグニャに曲がっていた。そのようなこともあったので、母子里駅で寝たときは「日本という国は夏と冬では82度もの差があるんだ!」と感動したものだ。

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「30代編日本一周」のときに立ち寄った深名線の蕗ノ台駅


 ぼくは鉄道も大好きだ。
 そのときはバイクで北海道をまわりながら、「この旅が終ったら今度は鉄道で北海道をまわりたい!」と心底、思った。だが、それはかなわぬ夢で終った…。
 あのとき、それができていたら…と、今すごく悔やまれる。
 1985年の興浜南線、興浜北線、美幸線を皮切りに、1987年の広尾線、士幌線、羽幌線…など、その後、次々と北海道の鉄路は地図上から消えていった。そのスピードはあまりにも速かった。
 当時(1980年)の鉄道地図を見ながら、ぼくはあらためて悔しさをかみしめている。

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1980年の北海道の鉄道地図。ほぼ全線が健在!


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