カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

開拓使時代の洋風建築

投稿日:2010年11月15日

札幌に到着!

 北海道遺産「江別のれんが」を見たあと、国道12号で道都札幌に入っていく。
 真っ先に向かったところは、札幌駅近くの北海道庁舎。ここの北海道庁旧本庁舎、通称「赤れんが庁舎」を見たかったのだ。

開拓のシンボル五稜星が輝く

「赤れんが庁舎」はほれぼれするような見事な造り。北海道の文明開化の匂いがする。煉瓦造りの洋風建築ということで国の重要文化財に指定されているのだが、今だに現役で、北海道庁の一部として使われている。ここには「開拓使本庁舎跡」の石碑が建っている。

北海道庁の「赤れんが庁舎」


 明治2年(1869年)、明治新政府はそれまで原野だった北海道を本格的に開発するため、この地に開拓使を置いた。それと同時に蝦夷を北海道と改めた。
 本土と同じように北海道は国分けされ、石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩、千島の11国が置かれた。
「五近七道」の南海道に対しての北海道だが、紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐の6国から成る南海道は今では死語同然。明治以降の「南海道」と「北海道」の対比はおもしろい。千何百年もの歴史を持つ「南海道」が消え去り、百何十年の歴史でしかない「北海道」がしっかりと生き残った。
 明治19年(1886年)には北海道庁が置かれ、この赤れんが庁舎が完成したのはその2年後、明治21年(1888年)のことだという。
 北海道の黎明期、開拓使時代に建てられた建物には、開拓のシンボルの赤い星(五稜星)がついている。北海道庁の赤れんが庁舎にも、真正面の北海道旗のすぐ下に赤い星が見られる。

 札幌のシンボルといえば、何たって北海道遺産の「札幌時計台」。北海道庁の「赤れんが庁舎」につづいて「札幌時計台」に行く。

北海道遺産の「札幌時計台」

 ここは明治11年(1878年)に札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場として造られた。ここにも赤い星があった。入口の頭上にひとつ、時計台の下に2つ、時計の下のひとつ。
 我が「北海道遺産の師」のカブタンは、時計台の楽しみ方を3つ、上げている。
 1、赤い星を確認する
 2、内部を見学する
 3、時計台の鐘を聞く
 時計台の赤い星を確認したところで、カブタンのオススメにしたがって内部を見学。
 時計台の1階には札幌農学校と時計台の歴史、日米親善の「青い目の人形」、札幌市内の文化財などの資料が展示されている。2階には当時の演武場がそのままの姿で残されている。E・ハワード社製の同じ型の時計も展示されている。そこで時計台の時報を聞いた。カブタン、時計台の3つのオススメを楽しみましたよ!
 時計台は最初は時計ではなく、鐘楼だったとのこと。綱を引いて鐘を鳴らしたという。大時計ができたのは明治14年(1881年)のことで、ハワード社製の四面時計が設置された。毎時、時間ごとの数の鐘の音が聞こえるが、これも鐘楼の頃の名残なのかもしれない。
 三角屋根の上に時計をのせた時計台は今ではまわりのビル群にすっかり埋もれてしまったが、当時は周囲に高い建物がなかったので、ここから4キロ四方に鐘の音が響き渡ったという。
 時計台の2階には北海道遺産の認定書が掲げられている。
 北海道遺産の「開拓使時代の洋風建築」としては、この時計台のほかには豊平館や清華亭、旧永山武四郎邸などが札幌市内に残されている。

時計台に展示されている大時計
時計台の北海道遺産認定書


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