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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

姥神大神宮渡御祭と江差追分2

投稿日:2010年12月1日

江差に伝わるニシン伝説

 北海道遺産の「江差追分」に出てくる「歌棄磯谷」は寿都町の歌棄と磯谷のこと。磯谷まで行き、そこから国道229号を南下し、江差に向かった。

寿都町の磯谷から国道229号を南下
抜けるように青い日本海を見ながら走る


弁慶岬の弁慶像
茂津多岬


茂津多岬
瀬棚を通過


江差に到着
江差の案内図


 弁慶像の建つ弁慶岬、狩場山地が断崖となって日本海に落ちる茂津多岬に立ち、瀬棚、北檜山、熊石の町を走り抜け、江差に到着。
 ここでは真っ先に姥神大神宮を参拝。姥神大神宮の渡御祭が北海道遺産になっている。その起源は370年前にさかのぼり、蝦夷地最古の祭りだといわれている。
 毎年8月9日から11日まで、各町内の13台の山車が江差の町を練り歩く。屋台にトドマツの青木をたてるところがいかにも北海道らしい。11日の夜にはそれぞれの山車が勢ぞろいし、それは壮観な眺めだという。今度はぜひとも祭りにあわせて江差に行こう!
 姥神大神宮の境内には13台の出車の模型が飾られているが、この渡御祭はニシンの豊漁への感謝を込めた祭りだとのことで、ニシン漁で栄えた江差の町を象徴している。
 姥神大神宮の境内には折居社がまつられている。この祠は江差にニシン漁を伝えたという「折居様」をまつっている。

江差の姥神大神宮を参拝
姥神大神宮の折居社


江差にしん伝説

 折居様に関しては江差町のHPで「江差にしん伝説」と題して、下記のように詳しく紹介されている。

今から500年も昔、江差町がまだ寂しい片田舎だったころ、どこからか姥がやってきて、今の津花町に草庵を結びました。

不思議なことに、天地の間、四季の事々、この老女の予言がことごとく当たり、変事が起こるたびに予知して教えるので、人々はこの老婆を「折居様」と呼び、神のように敬いました。

ある年、江差の浜で一匹の魚も捕れないことがあって、老婆は一心不乱に祈りを捧げました。2月はじめの頃、夜の丑三つ時、鴎島の方から突然、銀色の光が老婆の草庵を射ったので不思議に思い、訪ねてみると一人の翁が岩の上に座って、芝をしきりに焚いています。おそるおそる歩み寄ってその訳をたずねてみると、翁は小さな瓶をとりだして「この瓶の中に白い水がある。

これを海の中に投げ入れると、ニシンという小さなサカナがうち寄せるだろう。毎年、これを捕って暮らしたらよかろう」と告げて姿を消してしまいました。そこで老婆は教えられたとおりにしてみると、海水は変わり、今まで見たことのない魚が群れをなして押し寄せてきました。老婆は、これこそがお告げのあった「ニシン」に違いないと、村人たちに教えました。ところが、村人たちは、これだけ大量の魚をどう捕獲するのかわかりません。

そこで老婆が祈ると、再びあの翁が現れ、一枚の蓑の裏側を示しました。蓑の裏側は糸で編んだ網でした。

翁は網でニシンを捕る方法を教えたのです。そして「ただし、その高さはお前の背の高さ、目の数はお前の年と同じものにせよ」と言い残し消えました。老婆は村人たちに網の作りを教えました。

喜んだ村人は早速、漁を始め、江差の浜はやがてニシンで満ちあふれました。老婆は、これで住民たちは暮らしに困ることがないだろうと告げ、ある日、こつぜんと去っていきました。人々は驚いて方々を探しましたが行方はわからず、老婆が住んでいた庵に行ってみると、一個の神像があったのでこれを折居様とよんで漁業を護る神としてあがめました。

その後、だいぶたってからこの神社の神職に藤原永武という人があらわれて、かの姥の神は天照大神、春日大明神、住吉大神宮の御尊体であると人々に告げたので、正保元(1644)年、その神像を津花から現在の場所に移したのです。これが姥神大神宮の由来です。

ところで、老婆が村人に示した網の大きさは、高さが五尺三寸(約1m59cm)目の数は63だったといいます。老婆はこれを固く守るように村人に言い渡しましたが、欲に目のくらんだ人々はいつしかこれを忘れて、大きな網で漁をするようになりました。それは明治の初めの頃だといいます。このころからニシンが捕れなくなってきたのは、老婆の言い付けを守らなくなったからだと信じる人が今もおります。

江差の人々にニシン漁を教えた折居様。折居様が祈りを捧げた神像を起源とする姥神大神宮。今になっても江差の人々の厚い信仰を集めています。

姥神町の旧社地に「折居様の井戸」が遺構として残っています。

また折居様が、身を清めて白い水を詰めた小瓶を投げたという「折居様の手洗石」は中歌町の埋め立て地に埋没してしまいましたが、海中に投げ入れられた小瓶はやがて石となって海上に現れ、鴎島の「瓶子岩」になったといいます。

姥神大神宮とは別に、折居様を祀っているものに折居社があります。安政4(1857)年に元の江差港入口から現在地に移され、現在の社殿はおよそ110年前に再建されたものです。

姥神大神宮も、はじめ津花町に建てられ、正保元(1644)年に現在地に移されたのです。

松前地はもとより蝦夷地の一宮として、代々の藩主、領民の尊崇を集め、藩主の巡国の折には、かならず参殿して藩の隆盛、大漁、五穀豊穣を祈願する祈願所となりました。

 じつに興味深い「折居様伝説」だが、重要な舞台として登場する鴎島は江差港沖に浮かぶ周囲2.6キロの無人島。今では港湾整備で埋め立てが進み、江差の町と地続きになっている。島の入口に獅子岩が浮かび、島内には徳川幕府の砲台跡や江差追分の記念碑、厳島神社などがある。鴎島は江差港の天然の防波堤になっている。

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