福山(松前)城と寺町
投稿日:2010年12月4日
北海道唯一の国宝建造物だった城
上ノ国から国道228号を南下。スズキDR-Z400Sを走らせ松前へ。ここまで来ると、「北海道遺産めぐり」のゴールの函館が間近だ。旅の終わりというのは寂しさをともなうもの。そんな気持ちを振り払って日本最北の城下町、松前に入っていった。
慶長11年(1606)に松前氏がこの地に松前(福山)城を築き、蝦夷地支配の拠点にした。
北海道一の桜の名所で知られる松前公園。そこにある松前城を見学。城全体が資料館。目をひくのは「松前屏風」だ。色鮮やかな屏風絵が、当時の松前の繁栄ぶりをよく物語っている。船が港を埋めつくし、浜には北海の物産を運んできたアイヌ人たちの小屋が建ち並んでいる。
江戸末期の嘉永2年(1849)、幕府は北方警備の拠点として、旧城を壊し新城を築かせた。東西240メートル、南北300メートル、16の門、7つの砲台、4つの櫓という日本最後の本格的築城の城だった。
城内には慶応年間に撮影された写真が展示されているが、それを見ると、高台の上にそそりたつ松前城の威容ぶりがよく伝わってくる。
その松前城も明治8年に取り壊しになった。残った天守閣と本丸御門は後に国宝に指定された。北海道にもかつては国宝の建物があったのだ。だが、残念無念…。何とも惜しいことに昭和24年に燃え、国宝は解除された。今の天守閣は昭和35年に再建されたもの。
つづいて「郷土資料館」を見学。ここは一見の価値がある。松前の歴史がじつによくわかる。
大坂(大阪)と蝦夷地を結んだ北前船の模型が展示されている。この日本海航路の千石船が、上方の文化を蝦夷の地にもたらした。松前藩の交易をになったのは近江商人。日本一の商売のプロ集団、近江商人の交易ルート図が目を引く。
福井県の敦賀には今でもニシン倉が残っているが、そのニシンというのは近江商人が松前で仕入れ、北前船で敦賀港に運んだもの。北海のニシンは敦賀港から京都、大坂(大阪)へと出荷された。
松前城の裏手にある松前神社を参拝し、松前城とともに北海道遺産になっている寺町をまわる。
ここには法源寺、龍雲院、光善寺、法憧寺、専念寺の5つの寺がある。この寺町の一角は北海道とは思えないような、不思議な静寂を漂わせる別世界の空間をつくり出している。
これをもって「北海道遺産めぐり」、終了。松前から函館に向かうことにした。