第12回 天辻峠
投稿日:2010年12月28日
2010年 林道日本一周・西日本編
海から離れた吉野らしい郷土食
五條の「リバーサイドホテル」を出発。まずはスズキDR-Z400SともどもJR和歌山線の五条駅前に立つ。そして新町の古い町並みを走り、吉野川を渡り、国道168号で天辻峠(てんつじとうげ)に向かっていく。日本最大の半島、紀伊半島縦断の開始だ。
吉野川の支流、丹生川沿いに走る。山々がグッと間近に迫ってくる。柿が名産なだけあって、このあたりの山の斜面はいたるところ、柿園になっている。
梅林で知られる賀名生は難解地名のクイズにも出そうだが、これで“あのう”と読む。ここでは以前、自家製の「柿ノ葉ずし」をいただいたことがある。その味が忘れられない…。
柿ノ葉ずしは塩サバを使った押しずし。材料の塩サバは、昔は熊野灘の浜から吉野まで、馬の背にのせて運んだ。馬の背で揺られている間に、水揚げ直後に浜でうったひと塩の浜塩が、サバ全体にほどよくまわり、なじんだものだという。
この塩サバを薄切りにし、握ったすし飯の上にのせ、ひとつづつ柿の葉でつつむ。それをすし桶に並べ、上から蓋をし、重しをかけておく。こうして一昼夜も押すと食べられるようになるが、2日目ぐらいがちょうど食べごろになるという。柿の葉のかすかな香りがサバの生臭さをきれいに消してくれる。
柿ノ葉ずしは、海から遠い吉野らしい郷土食だ。
国道168号を走っていて目につくのは、幻の鉄道、五新線の軌道。五條と新宮を結ぶ鉄道として計画され、建設されたが、途中で挫折。現在、五條と旧西吉野村の中心地、城戸までは、鉄道の軌道上をJRバスが走っている。さらにその先、天辻峠を貫くトンネルもほぼ完成しているという。ループになっているとのことだが、一度も日の目を見ることもなく、うち捨てられてしまった。
峠は天上の交差点
旧西吉野村の中心、城戸を過ぎるといよいよ、天辻峠だ。一気に山中に入り、峠道を登っていく。
天辻峠に到着。峠は旧西吉野村と旧大塔村の境だが、平成の大合併で西吉野村と大塔村はともに五條市になり、今では五條市の峠になっている。
天辻峠は標高800メートル。長さ1176メートルの新天辻トンネルが峠を貫いている。峠のトンネルを抜け出ると、同じ奈良県とはいっても、吉野川から十津川の世界へとガラリと変わる。周囲の山々は険しくなり、谷は深くなる。
新天辻トンネルの真上には峠上の集落の「天辻」がある。今は廃校になっているが、天辻の小学校分校の校庭には、「天誅組本陣跡」の記念碑が建っている。
幕末期、十津川郷士や諸藩を脱藩した尊皇攘夷(天皇を崇敬し外国の勢力を排斥しようとした思想)の急進派たちは、天誅組を結成し、世直しだと京都を目指して天辻峠を駆け下っていった。
「天誅(天が下す罰)だ!」
と叫んで五條の代官所を襲撃。さらに奈良盆地入口の高取城を襲撃したが、幕府軍との戦いに破れ去り、天誅組は壊滅した。
そのような天誅組に屋敷を提供し、食料も提供したのが天辻の庄屋、鶴屋治兵衛。天誅組の碑と並んで、鶴屋治兵衛の碑も建っている。
ところで天辻の「辻」は峠を考える上ではきわめて重要だ。
どういうことかというと、峠はまさに辻なのである。
峠は天の辻で、天上の十字路、つまり天上の交差点になる。こちら側の世界から峠を越えて向こう側の世界へ登り下りする峠道と、尾根道の山上道が、峠で交差するのである。山上道は今の時代でいえばスカイライン。伊豆スカイラインなどを走ってみるとよくわかるが、尾根道では一番下ったところが峠になる。そこで下から登ってくる峠道と十字に交差するのだ。
日本に多い峠名のひとつに山伏峠がある。山を修行の場とする山伏にちなんだ峠名だが、山伏たちは峠道ではなく、山上道を駆け抜け、自由自在に遠方の世界まで行っていた。山国日本ではこのような山上道が、かつては網の目のように張りめぐらされていた。
「峠のカソリ」、天辻峠ではその名前におおいに刺激され、峠について考えた。
天辻峠を下ってすぐのところにある道の駅「吉野路大塔」で食事をし、大塔温泉「夢の湯」(入浴料600円)に入り、第1本目の林道、川原樋林道に向かっていった。