カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第29回 中津川林道

投稿日:2011年1月20日

2010年 林道日本一周・西日本編

温泉の歴史で、その土地の歴史を垣間見る

 四万十川上流の松葉川に沿って県道19号を南下。清流を眺めながら走るのは気分のいいものだ。スズキDR-Z400Sのエンジン音も軽やかに聞こえる。
 県道19号から県道322号へ。森ヶ内林道に向かっていく。その前に温泉、林道前の温泉だ。
 山間の一軒宿、松葉川温泉(入浴料700円)に入る。大浴場と露天風呂。無色透明無味無臭の湯につかりながら松葉川の支流、日野地川の渓流を眺める。
 松葉川温泉には温泉の歴史が詳しく書かれている。日本中に4000近くある温泉(温泉地)には多かれ少なかれ、このような歴史があるのだ。ということで、すこし長くなるが、全文を紹介しよう。

 松葉川温泉は、現在の温泉から約4・5キロ奥地にある松葉川山国有林(藩政時代はお留山)第14班い小班の谷川から湧出している。その昔、松葉川と日野地川の合流点、通称筏瀬を装束を脱いで渡った旅僧がそこを流れる水を飲んで、
「この川の上流に万病に効く霊泉があるはずだ」
 と言ったという伝説が残されている。その頃から土地の人たちは、松葉川のお留山に懇々と湧き出る冷泉があることを知っていた。
 藩政時代の中期、紀州の商人文五屋、高知の油屋七兵衛なども松葉川山で炭焼きやシイタケ栽培をおこなったが、その雇用人のために冷泉を利用していた。
 大正4年に大野見村吉野小学校長を最後に退職した岡田操が、この湧出るところから1・5キロ下流の日野地共有林内へ、浴室、脱衣場、客室を持つ温泉宿を建て、竹樋で鉱泉を導き経営していたが、昭和6年病いのため没した。その後を日野地の酒井久義が受けついだが、太平洋戦争で休止した。この後、昭和21年の南海大地震では湯量が増加したといわれる。
 終戦後、窪川営林署が職員、従業員の保養施設として、源泉のすぐ近くに木造2階建の温泉宿を建て、一般の利用も許可した。これも昭和38年松葉川山事業所の森ヶ内への移転によって休止された。
 昭和42年3月、日野地の高尾能宣は窪川営林署を退職するや、温泉復興による地域振興を決意し、退職金全額を投資し、源泉から新湯場までの4・1キロに及ぶ導泉パイプの敷設工事に着手した。
 工事は難航の連続であったが、能宣は屈することなく、苦節1年4ヵ月、ついに導泉に成功。自然石を配した岩風呂と休憩所を備えた温泉浴場の完成を見た。
 昭和44年、松葉川農協は高尾能宣と共同で温泉浴場に近代設備の温泉宿を建て、本格的な経営を始めた。昭和47年、農協の合併でこの温泉宿も併合し、窪川農協を母体とする松葉川温泉有限会社を設立して事業の拡大と発展に努めた。
 温泉開発と温泉経営に一切を捧げた高尾能宣は昭和53年5月に病没した。つづら橋の袂に、日野地集落並びに町内有志によって、翁の存命中にと頌徳記念碑が建立され、翁の功績を永久に伝えている。
 平成5年、窪川町は日野地神西駄馬605番地に、新しく温泉浴場と食堂、売店を備えた「ゆとりーむ」を建てた。翌平成7年には、「ゆとりーむ」に連結して、コンクリート4階建ての宿泊施設を新築し、「ホテル松葉川温泉」として同年10月に開業し、本格的な温泉経営に当り、平成10年には浴場に露天風呂を増設して入浴に興趣を添えている。

 松葉川温泉の湯から上がり、さっぱりしたところで森ヶ内林道のダートに突入。
 4・4キロ走ったところで春分峠に到達。昭和43年3月20日の春分の日にこの峠で開通式がおこなわれたので春分峠と命名されたのだという。いい話ではないか。日本中の林道の峠にこのように名前がつけられればいいと、本気でそう思っている「峠のカソリ」だ。

四国最後の林道をロングダートで締めくくる

 春分峠からは久保谷林道になる。1・7キロのダートを下り、そのあとは舗装路を下り、久保谷の集落を通って国道439号の松原に出た。
 松原で折り返し。春分峠まで戻り、四国最後の林道、中津川林道に入っていく。名無し峠を越え、中津川の集落へと下っていく。ダート12・7キロ。四国最後の林道がダート10キロを越えるロングダートなので、ことさらにうれしい。
 中津川林道のダートを抜け出たところでは、舗装林道の松原中津川林道にぶつかる。この道は林道というよりも国道439号のバイパスのようなものだ。
 中津川の集落を通り、国道439号に出る。四万十川の支流、檮原川に沿って走り旧大正町の大正へ。ここで四万十川の本流と出会うが、四万十川沿いの窪川町と大正町、十和村は合併して四万十町になった。下流が四万十市なので、何ともまぎらわしい。
 大正からは国道381号で暮れゆく四万十川を眺めながら走る。四万十川と支流の広見川が合流する江川崎では用井温泉「山村ヘルスセンター」(入浴料350円)の湯に入った。
 江川崎からはナイトラン。広見川沿いの国道381号で愛媛県に入り、宇和島へ。途中、国道320号と合流し、重複国道になる。宇和島のすぐ近く、「水分」のバス停でDRを停める。ここは比較的平坦な峠なので、誰も水分峠とはいわないが、この峠までが四万十川の水系になる。
 水分を過ぎると、逆さ落としのような急勾配で宇和島の中心街へと下っていく。
 宇和島からは国道56号で松山へ。
 途中、宇和のラーメン店「七福神」で遅い夕食。「ラーメンライス」(650円)を食べた。そのあとは猛烈な睡魔と闘いながら走った。
 松山到着は24時。中心街にある「東横イン松山一番町」で泊る。ベッドに横になるやいなや2、3秒で熟睡モードに入っていた。

フォトアルバム

四万十川本流の松葉川
松葉川温泉


森ヶ内林道のダートに突入!
峠に向かって登っていく


峠近くからの眺望
春分峠に到達!


春分峠の木標
久保谷林道を下っていく


中津川林道に入る
中津川林道の峠からの眺め


中津川林道を下っていく
松原中津川林道の案内板


用井温泉「山村ヘルスセンター」
「山村ヘルスセンター」の浴室


宇和のラーメン店「七福神」
夕食の「みそラーメン」


松山に到着
「東横イン松山一番町」に泊る


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