第31回 瀬戸内
投稿日:2011年1月22日
2010年 林道日本一周・西日本編
「島めぐり日本一周」が思い出される芸予諸島
松山観光港を出港した石崎汽船の広島行フェリー「翔洋丸」は、波静かな瀬戸内海を行く。海の県境を越え、愛媛県から広島県に入っていく。四国を離れ、本州に戻ってきたのだ。
島また島の芸予諸島。「芸予」の名前通り、安芸と伊予の国境をまたいで連なっている。ほんとうにすごいのだが、地図を片手に島々を眺めても、見えている島が何島なのか特定するのが難しい。それほどの島数なのである。
それはおいて、「翔洋丸」の進行方向の右手には下蒲刈島、上蒲刈島、左手には倉橋島が見える。たまらない眺めで、「島めぐり日本一周」(2001年〜2002年)がなつかしく思い出されてくる。14ヵ月あまりをかけて日本の島、188島をめぐった。
そのときの一番の難関は瀬戸内海。島の数があまりにも多すぎるのだ。
「さーて、どのようにして瀬戸内海をまわろうか…」
と毎日、地図を見ては頭を痛めたものだ。
大きな地図で見る
結局、本州編と四国編に分けて島々をまわったが、とくに大変だったのは日本一の島密集地帯のここ、芸予諸島だった。
「翔洋丸」は本土と倉橋島の間の音戸ノ瀬戸にかかる音戸大橋の下をくぐり呉港に入港。停泊している海上自衛隊の艦船が見える。かつての軍港、呉は今でも海上自衛隊の重要な基地で、ここには海上自衛隊の呉地方総監部が置かれている。
かの戦艦大和が建造されたのも呉の海軍工廠。呉には海上自衛隊呉資料館の「てつのくじら館」がある。
「翔洋丸」は呉港を出港すると、江田島との間の波ひとつない海を北上する。江田島といえば旧海軍の兵学校で有名だが、今でも海上自衛隊の幹部候補生の学校として使われている。
「島めぐり日本一周」(2001年〜2002年)のときは下蒲刈島、上蒲刈島をめぐったあと呉から音戸大橋で倉橋島に渡り、早瀬大橋で東能美島に渡り、東能美島→江田島→西能美島とまわり、西能美島の三高港からフェリーで広島の宇品港に渡った。
当時、倉橋島は音戸町と倉橋町の2町から成っていたが、平成の大合併で呉市と合併し、今では呉市の一部になっている。江田島と東能美島、西能美島の3島は地続きで江田島町、大柿町、能美町、沖美町の4町から成っていたが、これも4町の合併で今では江田島市になっている。つい数年前の地図がまったく役にたたなくなっているのが今の日本だ。
幅狭い水路を抜け出ると、「翔洋丸」は広島湾に入っていく。小島がいくつも浮かんでいる。左手には安芸の一の宮、厳島神社のある宮島が大きく見える。
やがて広島の市街地が前方に見えてくる。金輪島の脇を通り、9時、広島の宇品港に到着。松山からの1時間35分の船旅だった。
さー、「林道日本一周・中国山陽編」の開始だ!