カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第37回 門司港駅

投稿日:2011年2月2日

2010年 林道日本一周・西日本編

九州の起点、ゼロマイル碑のある門司港を散策

  本州最西端の町、下関からは国道2号の関門海底トンネルで門司へ。トンネルの中央が山口・福岡の県境になっている。トンネルを抜け出た先の「老松公園前交差点」が国道2号の終点で、そこは鹿児島へとつづく国道3号の起点にもなっている。
 国道2号から国道3号を走り、門司港駅前でスズキDR-Z400Sを停める。
「DRよ、九州に入ったぞ!」
 カソリの「九州一周」旅の出発点はいつも門司港駅と決まっている。ここは定番のスポットだ。
 門司港駅はかつての九州の玄関口。入場券を買い、駅構内に入る。改札口を過ぎると、すぐに目に入るのは「ゼロ哩碑」だ。
 かつては門司港駅が九州鉄道網の起点になっていた。
「ゼロ哩碑」には次のように書かれている。

 ここは九州の鉄道の起点となったところです。
 明治24年4月1日、この門司港駅(当時の門司駅)から玉名駅(当時の高瀬駅)まで鉄道が開通しました。このとき門司港駅に0哩標が建てられ、九州の産業と文化はここを起点として延びる鉄路とともに栄えてまいりました。その後、駅舎の移転により0哩標は撤去されて今日にいたりました。
 ここに鉄道開業100年を記念し先人の偉業をしのびつつ再び0哩標を建立しました。
  昭和47年10月14日 日本国有鉄道九州総局

 門司港駅の「ゼロ哩碑」を見たあとは、DRを走らせ、レトロな町並みで人気の門司港駅の周辺をまわる。
 目につくのは旧大阪商船の門司港支店の建物。レンガ造りのエキゾチックな建物だ。
 これは大正6年(1917年)に建てられたもの。1階が船の待合室で2階が事務所になっていた。その当時の大阪商船の航路は世界中にはりめぐらされていた。
 当時の鉄道時刻表には大阪商船の広告ページがあり、それには次のような門司港からの「出帆汽船定期表」がのっていた。

 

仁川線 週三回 釜山→馬山→木浦→群山→仁川行
清津線 月三回 釜山→元山→西湖津→新浦→城津→清津行
基隆線 月四回 基隆直行
打狗線 月二回 長崎→基隆→膨湖島→安平(台南)→打狗(高雄)行
天津線 月六回 天津直行
青島線 月二回 青島直行
安東線 月二回 仁川→鎮南浦(南浦)→安東(丹東)
大連線 月二回 大連直行
米国線 月一回 東航(神戸→横浜→タコマ→シアトル→バンクーバー行)
西航(上海→香港行)
孟買線 月一回 香港→新嘉坡(シンガポール)→彼南(ペナン)→古倫母(コロンボ)→孟買(ボンベイ)行

 これらの定期船のほかに、ヨーロッパへの客船も出ていた。
 門司港からは朝鮮半島、台湾、中国、アメリカ、インド、さらにはヨーロッパへとひと月に60隻を超える客船が出ていた。門司港はまさに日本の玄関口。レトロな町並みをDRで走りながら、過ぎ去った門司港の栄光の時代を偲んでみるのだった。

フォトアルバム

門司港駅前に到着
門司港駅はかつての九州鉄道網の起点


門司港駅のプラットフォームを歩く
門司港駅の「ゼロ哩碑」


下関行の連絡船乗場
旧大阪商船門司支店の建物


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