カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第38回 部崎

投稿日:2011年2月3日

2010年 林道日本一周・西日本編

九州最北端の地に立ち、日本の海の交差点を眺める

 門司港駅前を出発。関門海峡沿いにスズキDR-Z400Sを走らせ、九州最北端の部(へ)崎に向かう。
 まずは和布刈(めかり)神社に参拝。この神社は関門海峡をまたぐ全長1068メートルの関門橋の真下にあり、目の前の「早鞆の瀬戸」は日本三急潮のひとつになっている。ちょうどうまい具合に、潮の変わり目にぶつかった。
 日本海から瀬戸内海へ、まるで急流の大河のように、潮が渦を巻いて流れていく。
 激流を押し切って進もうとする小船は、人が歩くほどのスピードしか出ない。潮の流れがいかに速いかが、一目でわかる光景だ。
 和布刈神社の北に、九州はまだまだつづく。
 コンテナヤードになっている田野浦と太刀浦の両埠頭があるが、このあたり一帯は埋立地なので、もともとの九州ではなく、新九州といったところだ。
 新港の埠頭から砕石場のダートを走り抜け、企救(きく)半島突端の部崎に立った。
 ここが九州最北端の岬だ。田野浦と太刀浦はそれよりも若干、北になるが、もともとの九州ではないということで、部崎が一般的には九州最北端といわれている。
 丸みを帯びた石がゴロゴロしている海岸には、高さ20メートルほどの「僧清虚」の白い像が海に向かって建っている。
 僧清虚(そう せいきょ)は天保年間(1830~44年)に部崎の崖の上に草庵を結び、沖を航行する船の目印になるよう、夜になると火を焚いて航海の安全を祈ったという。
 部崎は関門海峡の出入口にあたる岬で、まさに日本の航路の要衝の地。洋式灯台ができるはるか以前に、雨の日も風の日も岬で火を焚きつづけた僧清虚は、日本の灯台事業の先駆者といえる人だ。
 ここではDRを停め、緑濃い山道を登り、白亜の部崎灯台前に立った。
 目の前には周防灘が茫洋として広がっている。さすが日本の海の十字路、行き来する数多くの船が見られた。

「西海」「鎮西」そして「九州」と呼ばれた

 九州最北端の岬、部崎からは海沿いの道を南下し、県道72号→県道25号経由で国道10号に出る。
「さー、行くぞ!」
 とDRにひと声かけ、バックミラーには十二分に注意して国道10号を一気に南下。行橋、豊前市を通り、山国川を渡って福岡県から大分県に入る。
 中津を通り、宇佐へ。ここでは豊前国の一の宮、宇佐神宮に参拝した。この宇佐神宮は日本中に4万社以上もある八幡宮の総本宮になっている。
 ところで豊前国は福岡県の東半分と大分県の北部を占める旧国だが、こうして各国の一の宮をめぐっていると、次から次へと日本の「旧国」へと思いを馳せる。それはすごくおもしろいことだし、「日本一周」の大きな魅力にもなっている。
 たとえば「九州」の呼び名の変遷だ。
 古代九州は筑紫(つくし)、豊(とよ)、火(ひ)、襲(そ)の4つの国から成っていた。その頃は九州全体をいい表す呼び名はなかった。
 大宝元年(701年)、「五畿七道」のうち、西海道(さいかいどう)が設置されると、九州は「西海」と呼ばれるようになった。その後、天平年間(729年~749年)に鎮西府(ちんぜいふ)と改称されると、「鎮西」と呼ばれるようになった。
 西海道は豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の9ヵ国に国分けされたが、「西海」、「鎮西」はいつしか9ヵ国を意味する「九州」と呼ばれるようになり、それが一般的な呼び名になっていった。
 讃岐、伊予、阿波、土佐の4ヵ国が「四国」と呼ばれるようになったのと同じだ。
 だが、九州の旧分国というのは9ヵ国だけではない。そのほかに壱岐、対馬がある。正確にいうならば、「九州」ではなく「十一州」。我々はほんとうは「十一州」と呼ばなくてはいけないのだ。
 それともうひとつ、九州の南の沖縄である。
「琉球国」の「国」は、豊前や豊後、薩摩や大隅などの日本国68州の「国」とは違う。「琉球国」の「国」は、日本国の「国」と同等、対等の「国」なのだ。それだから「沖縄は九州の一部」などといったら、沖縄人が怒るのは当然。沖縄は九州ではない。
 今回の「林道日本一周・九州編」では『ツーリングマップル・九州沖縄』(昭文社)を使っているが、多くのライダーのみなさんが使っている『ツーリングマップル』を新にたちあげたときのことも忘れられない。
 沖縄は当初、『ツーリングマップル九州』の中にあった。ぼくは『ツーリングマップル』を担当していたK氏と懇意にしていたので、顔を合わせるたびに、飲み会のたびに、
「ねーKさん、沖縄が九州じゃ、まずいでしょ!」
 といいつづけた。
 九州生まれ、九州育ちの「地図プロ」のK氏はわかったようで、『ツーリングマップル九州』は『ツーリングマップル九州沖縄』に変った。それとともに沖縄のページを大幅に増やし、沖縄の全島を網羅するようになった。
 豊前の一の宮、宇佐神宮の参拝を終えると、さらに国道10号を南下。
 別府温泉では別府駅前の共同浴場「駅前高等温泉」(入浴料100円)の湯に入り、大分の市街地を走り抜け、日が落ちたところでコンビニ弁当の夕食を食べた。
 国道10号のナイトラン。大分・宮崎の県境を越え、宮崎を目指して走る。
 交通量が少ないこともあって、県境を越えたころから猛烈に眠くなる。壮絶な睡魔との闘いだ。
 DRのハンドルを握りながら、
「オー!」とか、「ワー!」とか、「オーリャー!」とか、意味のない叫び声をあげて走りつづける。
 国道沿いの自販機のカンコーヒーを飲んだぐらいでは目がさめず、延岡のコンビニでは「眠眠打破」を買って飲んだ。
 延岡からはDR-Z400Sにさらにムチを入れ、日向、都農、高鍋と通り、24時過ぎに宮崎に到着。宮崎駅前の「東横イン」に泊ったが、ウエアを着たままベッドにぶっ倒れるようにして眠りこけた。

フォトアルバム

和布刈神社前の関門海峡
和布刈神社を参拝


九州最北端の部崎の灯台
国道10号を南下する


豊前の一の宮、宇佐神宮を参拝
別府温泉の共同浴場「駅前高等温泉」


別府駅前の手湯
夕暮れの大分駅前を通過




コンビニ弁当の夕食

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