第39回 都井岬
投稿日:2011年2月4日
2010年 林道日本一周・西日本編
夜明けとともに宮崎駅前の「東横イン」を出発。宮崎駅前にスズキDR-Z400Sを停め、いつものように出発の儀式だ。
「さー、行くぞ!」
とガッツポーズで気合を入れ、DRに声を掛け、それから走り出す。
それにしてもひと晩の眠りの力というのはすごいものだ。
「東横イン」には24時過ぎにチェックインをし、5時前にはチェックアウト。4時間ほどしか寝ていないが、昨夜のメロメロヘトヘト状態はまるでウソのように、体はシャキッといている。
こういうときは目に入るものすべてがキラキラ光輝いて見える。
体には新な力が蘇っているので、心の底から、DRに「さー、行くぞ!」と声を掛けられるのだ。
宮崎からは国道220号を南下。青島を通り、堀切峠を越えて日南海岸を南下していく。宮崎から都井岬(といみさき)に至る約90キロの日南海岸は、国定公園に指定されている。
沿道にはフェニックスやリュウゼツランなどの亜熱帯樹が茂り、色とりどりの花々が咲いている。
JR日南線の南郷駅前からは国道448号に入り、日本の名岬の都井岬へ。
野生馬の遊ぶ都井岬
日南海岸の尽きる都井岬の白い灯台は高さ10メートルほどでしかないが、なにしろ断崖絶壁の上に立っているので、海上から灯台までは250メートルもの高さになる。
都井岬は波の侵食に残った砂岩と頁岩が交互に層を成して重なり合った地層をしているが、その地層の露出した断崖絶壁の眺めはものすごい迫力だ。
都井岬は野生馬でよく知られている。元禄10年(1697年)、高鍋藩主秋月種政が軍用馬の増産のため、ここに「御崎牧」を設けたことに始まるという。
その後、御崎牧の馬は長い年月の間に野生化し、290年の自然放牧に耐えた純度のきわめて高い日本馬として国の天然記念物に指定されている。
都井岬はまた日本最北の蘇鉄の自生地としても知られている。約3000本の蘇鉄も、国指定の天然記念物になっている。
岬の突端には御崎神社がある。創建は和銅元年(708年)といわれ、蘇鉄の自生する断崖を背に、小さな社が建っている。
沖縄の御嶽を連想させるような風景で、きっと背後のそそり立つ岩山が御神体になっているのだろう。
もともとは日本の神社は沖縄の御嶽と同じように拝殿も神殿もなく、自然自体が御神体になっていた。
「ここでは、岬そのものが神だった!」
と、そんなことを考えながら蘇鉄の覆いかぶさる参道を歩き、御崎神社に参拝した。
日本独自の岬文化、神々の宿る場所
東京を出発し、ここまで来る間で参拝した山城国の一の宮の上賀茂(かみがも)神社や、大和国の一の宮の大神(おおみわ)神社も、その背後にそびえる山が御神体になっている。つまり自然そのものが神なのだ。
岬と神社はまるでセットになっているかのようで、日本の数多くの岬には神社がまつられている。そのため岬は日本人にとっては神々の宿る「神聖な地」になっている。
都井岬の神社が「御崎神社」なのは興味深い。
どうことかというと、「みさき」は「崎」に「御」をつけた言葉。「み崎」なのである。「飯」に「御」をつけて「ご飯」といっているようなもの。我々日本人は岬を「崎」と呼び捨てにはしない。
ここからはカソリの「岬考」だ。
「岬」という字は「峠」とは違い、国字ではなく漢字だ。
だが漢字の「岬」は(日本人の意味する)岬を意味しない。山々が平地(里)に落ち込む所、つまり「山崎」の意味なのである。
では中国では「岬」にはどういう漢字を当てているかというと、そのような字はまったくない。つまり中国には、我々日本人にとっては信じられないことだが、岬がないのだ。あれだけの長い海岸線を持ち、地形としての岬は無数にある中国だが、この国には半島名はあっても岬名はない。これが文化の違いというものなのである。
中国文化の影響を日本以上に強く受け続けた朝鮮半島も同様で、地形的な岬は数限りなくあるが、やはり半島名はあっても岬名はない。日本にこれだけ近い世界なのに…。
「岬のある日本」、「岬のない中国・朝鮮半島」。日本文化の影響を強く受けた台湾には岬名はある。
いやー、じつにおもしろいではないか。
なぜぼくがこれほどまで、岬にこだわるかというと、岬は「日本一周」には絶対に欠かせないポイントだからである。人呼んで「岬のカソリ」、いままでに日本中の300余の岬に立っている。
都井岬をあとにし、国道448号→国道220号で宮崎県から鹿児島県に入っていく。ここでもう1岬、ダグリ岬に寄っていく。展望台に立ち、志布志湾の向こうに連なる大隅半島の山々を眺めたあと、ダグリ岬の温泉、「国民宿舎ボルベリアダグリ」の湯に入り、志布志の町へ。そこから九州屈指の林道の宝庫、大隅半島に入っていった。