カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第60回 大鳥タタラ跡

投稿日:2011年3月2日

2010年 林道日本一周・西日本編

かつて島根に栄えた「タタラ」の遺構に出会う

 匹見峡温泉「やすらぎの湯」の朝湯に入り、朝食を食べて出発。まずはスズキDR-Z400Sを走らせ、匹見峡を見る。
 匹見峡温泉から県道307号を行ったところが「表匹見峡」。匹見川のV字谷には奇岩、巨岩がそそり立ち、見事な峡谷美を見せている。まるで水墨画のような世界。匹見峡の峡谷美は一幅の絵を見るかのようだ。
 匹見峡温泉に戻ると、次に国道488号で島根・広島県境の三坂峠に向かう。
 その途中では匹見川の支流、広見川の「裏匹見峡」を見る。目がくらむほど谷が深い。急カーブ、急勾配の峠道を登り、標高960メートルの三坂峠に到達。三坂峠は中央分水嶺の峠で、中国山地の三坂山(1169m)の北側に位置している。
 三坂峠を広島県側に下れば、じきに中国ナンバーワン林道の十方山林道入口に出る。
 ここで「峠返し」。再度、「裏匹見峡」を見ながら走り、匹見峡温泉に戻った。
 さー、林道だ。
 匹見峡温泉から国道488号→県道172号経由で深折蔦木林道への道に入っていく。蔦木の集落から2・3キロ地点でダートに突入。宇明ヶ原国有林の中を行く。緑濃い林道。4・0キロのダートを走り、県道314号の野々峠へ。そこからは国道191号に下っていった。
 国道191号に出ると笹ヶ峠を越え、美都温泉を過ぎたところで国道を右折し、銅ヶ峠林道に入っていく。入口には大鳥タタラ跡の案内板が立っている。
 国道から1・8キロ地点でダートに突入。そこから0・7キロ走ったところに「大鳥タタラ跡」はある。
「タタラ(踏鞴)」というのは、鋳物づくりに用いる大きな足踏み鞴(ふいご)のことだが、千年以上もつづいた日本の古代からの製鉄方法の「タタラ吹き」のことも、タタラといっている。中国山地は古くからのタタラ製鉄の地で、石見から出雲にかけてが一番の産地になっていた。
「大鳥タタラ跡」には、次のように書かれた案内板が立っている。

 正徳4年(1714)青原村(現日原町)の原田勘四郎が初めて創業したという。その後、寛政年間(1789?1800)に鍋石村(現浜田市)一ノ瀬のタタラ経営者江尾氏が引き継いでいる。そして明治9年(1876)に閉山するまでの約160年間、銑(ずく)、けらといった和鉄の生産が続けられた。
 原料の砂鉄は井野村(現三隅町)から仕入れ、不可欠の炭材も豊富なことから、タタラの構造も「永代タタラ」として構築されいたと考えられる。従業員は「山方」、「大鍛冶方」を合わせ、その家族ともども200人を超えていたようだ。今もこの場所を「卸場所」と称し、字名も上段を「勘場」、下段を「吹屋床」といっている。近くには共同墓地があり、閉山後も定住者が昭和50年頃まで数人いた。

 今はまったく無人の荒野と化した「大鳥タタラ跡」から銅ヶ峠に向かって登っていく。かなり峠に近づいたところで大木が倒れ、林道をふさいでいた。
「大鳥タタラ跡」から4・4キロの地点だ。
 その倒木の下をくぐることもできず、その倒木を乗り越えることもできず、残念ながら来た道を引き返し、国道191号に戻った。

フォトアルバム

匹見峡温泉の大浴場
匹見峡温泉の露天風呂


匹見峡温泉の朝食
狸さんのお見送り


匹見峡温泉を出発
深折蔦木林道のダートに突入!


県道314号の野々峠
野々峠下、深折の集落


国道191号の笹ヶ峠
大鳥タタラ跡への案内


銅ヶ峠林道のダートに突入!
大鳥タタラ跡


銅ヶ峠を目指して登っていく
銅ヶ峠まであともうひと息


大木が道をふさいでいる…
国道191号に戻る


Comments

Comments are closed.