カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第110回 物満内林道

投稿日:2011年5月18日

2010年 林道日本一周・東日本編

豪雨の林道に命の危険を感じる

 北海道第2の大河、天塩川河口の町、天塩に着くと、「天塩川歴史資料館」を見学。松浦武四郎らの天塩川流域の探検史や天塩川とアイヌ人の生活とのかかわりの展示などが興味深い。
 松浦武四郎は幕末の北方探検家。
 伊勢の人で、6回に及ぶ蝦夷地探検を行った。北海道をくまなくまわった探検家といっていい。天塩川河口の天塩から天塩川沿いの名寄盆地まで行ったのは第5回目の蝦夷地探検でのことだった。
 そのあとの第6回目の蝦夷地探検は250日の大旅行で、箱館(函館)を出発点にし、北海道を一周している。すさまじいばかりに、その生涯の大半を蝦夷地の探検に賭けた。 松浦武四郎は6回の蝦夷地探検で、全部で114冊もの日誌を書き、それを『三航蝦夷日誌』、『東西蝦夷・北蝦夷山川地理取調紀行』、『近世蝦夷人物誌』などの書物にまとめている。それらが蝦夷地研究、アイヌ文化研究にとっては欠かせない、貴重な研究書になっている。
 蝦夷地を「北海道」と名づけたのも松浦武四郎だ。
 それまでの南海道や西海道、東海道などの「七道」に対しての北海道。明治新政府になってからの明治2年(1869年)、松浦武四郎の建議によって蝦夷は北海道と改称された。そのとき内地の旧国にならい、北海道には石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩の10ヵ国が置かれた。さらに千島が加わり11ヵ国になった。
 それら11ヵ国の国名は、天塩、北見、千島を除けば現在の支庁名に残っている。
 松浦武四郎へのおおいなる興味を持って天塩を出発。降ったり止んだりの天気の中、スズキDR-Z400Sを走らせ、国道232号→国道40号を行く。天塩川沿いに走り、「北海道命名之地」でDRを停めた。天塩川の河畔には「北海道命名之地」碑が建ち、そこには次のように「北海道命名」のいきさつが記されている。

 安政4年、松浦武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し、『天塩日誌』として書き残しました。天塩川探査の帰途中、オニサッペ(筬島の鬼刺川附近)で、故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。
「アイヌの通称である『カイナ』の『カイ』とは、この国に産まれた者ということで、『ナ』というのは貴人をさす尊敬の言葉である」
 これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである」と考えました。
 明治2年7月17日、武四郎は道名に関する意見書を明治政府に提出。候補に日高見道(ひだかみどう)、北加伊道(ほくかいどう)、海北道、海島道、東北道、千島道の6道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」が誕生しました。
 現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。

 明治政府が「蝦夷」を「北海道」にしたのは、もちろん先にもいったように、日本古来の「七道」の東海道、西海道、南海道に合わせたものだが、今ではそれら3道はほぼ死語になっている。かろうじて東海道が街道名として残っている程度。もともと東海道というのは伊勢、伊賀、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸の15ヵ国を総称する行政区画名だった。
 その中にあって一番、歴史の新しい「北海道」が本来の意味をずっと持ちつづけて今に至っていることがすごい。
「北海道命名之地」から4キロほど行ったところで国道40号を右折し、物満内林道に入っていく。すぐにダートに突入。そころから雨が激しくなってきた。最初は幅広の走りやすい林道だったが、やがて狭路になり、林道の両側からは草木が覆いかぶさってくるようになる。雨はいよいよ激しくなり、まるで豪雨の様相。物満内林道は物満内川に沿っているが、何度か川を渡る。牙をむいて流れる川は、すさまじいばかりの濁流に変っている。「これはヤバイ!」
 と、おおいなる不安にかられる。
『ツーリングマップル』(北海道)を見ると、この林道は南の道道118号に出て、国道40号に出られるようになっている。だが、もし通り抜けできなかったら…と考えると、いいようのない恐ろしさにかられた。
 正直なところ命の危険を感じた。
 そこでダート10・0キロ地点で引き返すことにした。とはいっても橋を渡るのは怖かった。橋もろとも濁流にひと飲みされそうだった。
 なんとか国道40号に戻り、パーキングエリアにDRを停めたときは、
「助かった!」 
 と、その場にヘナヘナっと崩れ落ちそうになった。
 豪雨の国道40号を走り、音威子府、美深、名寄、士別、和寒と通り、塩狩峠を越えて20時、旭川に到着。
 夜の旭橋の袂でDRを停め、ひと息入れたところで旭川駅前へ。旭川駅前の2軒の「東横イン」に行ったが、ともに満室。それではと旭川駅前の公衆電話から、「ホテルメイツ旭川」、「アートビジネスホテル」、「プラザホテル」、「ホテルレオパレス旭川」、「ルートイン旭川駅前」…と、10軒以上のビジネスホテルに電話したが、信じられないことにすべて満室。大きな大会か何かが旭川でおこなわれているのだろう。
 旭川を断念し、札幌駅前の「東横イン」に電話して部屋をとると、あいかわらずの豪雨の中、国道12号で札幌へ。札幌駅北口の「東横イン」に到着したのは23時30分。部屋に入り、シャワーを浴びると、カンビールで乾杯!
 物満内林道で命を落とさなくてよかった!! 

より大きな地図で 林道日本一周東日本編 を表示
今回のエリア:昭文社ツーリングマップル北海道 40,46,52,55,54,56あたり

手塩→物満内林道→旭川→札幌

天塩に到着
天塩川の河口


天塩を出発
「北海道命名之地」碑


「北海道」、ここより始まる!
物満内林道のダートに突入!


物満内林道のダート10・0キロ地点
国道40号に出た。助かった!


旭川に到着。夜の旭橋
札幌の「東横イン」で乾杯!


Comments

Comments are closed.