カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第109回 最北の町

投稿日:2011年5月17日

2010年 林道日本一周・東日本編

がんばれ稚内!

 日本最北の町、稚内に到着するとまずは稚内漁港へ。
 漁港前の駐車場にスズキDR?Z400Sを停め、稚内温泉「港のゆ」(入浴料700円)に入る。薄茶色をしたツルツル湯。広々とした大浴場には気持ちよく入れた。
 ここで目についたのは館内に展示されているかつての稚内の写真。漁港には大型漁船がびっしりと接岸し、岸壁を何台もの車が忙しげに動きまわっている。写真全体からは、当時の「北洋漁業」の拠点となった稚内港の活況ぶりが伝わってくる。何とかしてもう一度、この活況を取り戻してほしいと心底、願った。
 稚内は日本にとってはきわめて重要だ。稚内が衰退したら、日本の国防(北方警備)に、大きな影響が出てくるとぼくは思っている。
 がんばれ稚内!
「港のゆ」の次に、北海道遺産にもなっている稚内港の北防波堤ドームに行く。
 夏だというのに、北防波堤はガラーンとしていた。
 ここでは豊橋ナンバーのDJEBEL200に乗ったツーリングライダー氏に出会ったが、
「今年はほんとうにライダーが少ないですねえ…」
 という話になった。
 年々、北海道にやってくるツーリングライダーは減っているが、とくに今年(2010年)は少ない。北海道ツーリングの聖地のような宗谷岬でも、1台のバイクも見かけなかった。
 かつては夏の北海道といえば、あちこちでツーリングライダーと出会ったのに…。あれだけ多くのライダーは、いったいどこに行ってしまったのか…。
 何か、秋風が心の中を吹き抜けていくような寂しさを感じてしまうのだった。
 DJEBEL200のライダー氏と別れると、北防波堤ドーム前の稚泊航路の記念碑を見る。
「稚泊航路」というのは、大正12年(1923年)に鉄道省によって開設された稚内と旧樺太の大泊(現コルサコフ)を結ぶ航路で、日本の北への交通の動脈になっていた。昭和20年(1945年)に閉鎖されるまで300万人の乗客を運んだという。稚泊航路のほかに稚内と本斗(現ネベリスク)を結ぶ稚斗航路もあった。
 稚内市は現在、コルサコフ、ネベリスクの両市と友好都市の提携を結んでいる。コルサコフはアニワ湾に面した港、ネベリスクは日本海に面した港だ。
 いったん稚内駅前に戻り、稚内を出発。海沿いのルートでノシャップ岬へ。そこには赤白2色に塗り分けられたノッポ灯台が建っている。
 ノシャップ岬からは日本海沿いの道道254号を南下。ノシャップ岬から3キロほど行ったところにある稚内温泉「童夢」(入浴料600円)の湯に入った。ここは日本最北の温泉施設。大浴場と露天風呂。薄茶色の湯は無味無臭。ここの湯に最初に入ったときは強烈な色していたが、入りやすくするためなのだろう、湯の色はどんどん薄くなっている。「童夢」の湯から上がると、道道254号→道道106号で天塩川河口の町、天塩に向かった。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル北海道 65

稚内港→ノシャップ岬

稚内漁港
稚内温泉「港のゆ」


「港のゆ」の入口
かつての稚内の賑わい


ガラーンとした稚内港北防波堤ドーム
北防波堤ドーム前の稚泊航路記念碑


北防波堤ドーム前の稚内港
ノシャップ岬


ノシャップ岬のノッポ灯台
稚内温泉「童夢」


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