カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

5月19日(3)大理石海岸

投稿日:2011年6月25日

頑張ってるぞ!東北!! ツーリング[鵜ノ子岬→尻屋崎 38]2011年5月19日

 民宿「堀新」を出発し、唐桑半島を北上。只越から国道45号に入る。海沿いの只越の集落はかなりやられているが、おそらくここが唐桑半島では一番の被害地であろう。
 国道45号で岩手県境に向かっていく。その手前で大理石海岸に寄り道した。国道45号からわずかな距離。集落内の曲がりくねった坂道を下ると岩井沢漁港に出る。ここでは何隻もの船が無傷で残った。
 漁港の前に車が何台か停められる駐車場がある。そこには大理石海岸の案内板が立っているが、その説明を紹介しよう。

 大理石海岸は、永い年月にわたる地殻の変動や海水の浸食によってできたリアス式沈降性海岸です。岩質は大理石層、石灰岩層、黒色粘板岩層に分類され、光り輝く白亜の岩礁は湾内の景観をいっそう引き立たせております。霧立山から流れ出る清流は植物性プランクトンを含み、やがて動物性プランクトンの繁殖によって小魚や海草、ウニ、アワビ、カキなどの豊富な魚介類が自然繁殖するようになりました。駐車場の北側には深さ30メートルに及ぶ鍾乳洞があり、これまでの内部調査によって縄文式土器や石斧など数点が発見されています。また、駐車場南西側の斜面にはアサリやカキ、貝殻等の貝塚が発見されており、縄文人たちの足跡がここには色濃く残されております。
 さらにこの駐車場から徒歩5分ほどの南側大理石層(石切場)にはたくさんのウミユリ等の化石群が露出しており、学術的な調査をする上で大変貴重な場所になっています。
 明治40年、浅野セメントの創始者・浅野総一郎氏がアメリカの鉱山学博士のR・スミス氏と共にこの地を訪れ、大理石の優れた性質を見て、「イタリア産大理石を凌ぐ」と絶賛されたことが伝えられています。浅野セメントはその後10年間に渡り採掘をつづけましたが、岩石を積む船(運搬用の帆船)の接岸が容易ではなく、やむなく採掘を中断したと言われております。
 また一説には東京日本橋の三越本店正面玄関の左右ライオン台座の大理石礎石はこの場所から運ばれたものだといわれております。当時の積み残した大理石の原石が今でも石切場のいたるところに残っており、往時を忍ばせております。
 陸中海岸は宮城県気仙沼市から岩手県久慈市まで180キロにも及ぶ起伏にとんだ美しい海岸線で、昭和30年に国立公園の指定を受けました。昭和44年に国道45号の仙台宮古間が開通すると同時に陸中海岸に観光ブームが到来し、その頃から誰がいうでもなく、この海岸を「大理石海岸」と呼ぶようになりました。(後略)

 そんな大理石海岸の説明を読んでから遊歩道を歩いた。大理石海岸の名前の通り、大理石の岩場が朝日を浴びて白っぽく光り輝いている。
 目の前の海は広田湾。その一番奥は今回の大津波で史上空前といってもいいほどの大きな被害を出した陸前高田。そのすぐ近くの大理石海岸は以前とまったく変らない姿で残っていた。

大理石海岸の岩井沢漁港。ここでは何隻もの船が無傷で残った

大理石海岸の美しさは変らない

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