カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第151回 塩那道路

投稿日:2011年11月13日

2010年 林道日本一周 関東・東北編

関東屈指のロングダートも今はガチガチのゲートで通行止め

 黒磯に到着すると「何時や食堂」で昼食。「野菜炒め定食」を食べ、県道369号で那須へ。板室温泉への道との分岐点を過ぎたところで県道369号を左折し、那須と塩原を結ぶ山岳道路の塩那道路に入っていく。県道から3・0キロの地点で通行止め。そこには絶対に入らせないぞという顔したガチガチのゲート。塩那道路といえば、かつては関東を代表するハードなロングダートだった。
 ぼくが最後に塩那道路を走ったのは2005年のことだ。
 そのときは板室温泉の「一井屋旅館」に泊まり、翌朝、朝風呂に入り、朝食をしっかりと食べてから出発した。
 ぼくがこの道を初めて走ったのは、1970年代のことで、完成して間もない時期だった。当時は“塩那スカイライン”と呼ばれていた。自衛隊がつくった道で、スカイラインとは名ばかりの、すさまじいばかりのダートが延々とつづいた。岩を崩しただけ‥‥といったダートを跳びはねながら走った。
 その当時はガードレールやカーブミラーは一切なく、那須・塩原間の2000メートル近い山並みの稜線を走るので、路肩を踏み外すと、それこそ何百メートルもまっ逆さまに転落ということになりかねなかった。
 2005年に走ったときは那須、塩原側ともに舗装が延び、案内板や標識、保安設備ができていたが、やはり塩那は塩那、それでもハードなダートがつづいた。
 栃木・福島県境の男鹿岳(1777m)の南側で稜線上に登ってからが圧巻。バイクを止めてのぞき込む谷の深さといったらなく、ゾクゾクッと体に震えがくるほど。ダートに突入して19キロの地点には、陸上自衛隊第104建設大隊の塩那道路完成記念碑が建っていた。こうして43キロのダートを走りきり、塩原へと一気に下った。塩原に下りると、塩原元湯温泉「元泉館」の湯に入り、ロングダートを走った疲れを癒した。
 それ以降、那須・塩原に来るたびに「塩那道路」をチェックしているが、通行止がつづいている。

那須の温泉めぐりを最後に日本橋へ

 県道369号に戻ると深山ダムへ。深山湖の湖畔を走り抜け、大川沿いに走る。舗装路が途切れるところにゲート。その先からダートがはじまる。
 この道は旧大川林道。男鹿岳の北側で栃木・福島県境の峠を越え、奥会津の栗生沢の集落へと下っていく。
 大川林道もかつては関東を代表するロングダートで何度となく走ったが、やはり2005年が最後となった。その時点でのダート距離は26・2キロ・それ以降は万年通行止めだ。
 大川林道のゲートで折り返し、来た道を引き返す。
 最後に那須の温泉をめぐる。
 まずは板室温泉の「グリーングリーン」(入浴料500円)に入る。内風呂と露天風呂に入る。露天風呂にはつかまれるようなロープが何本かたれさがっている。それは昔の名残。館内に掲げられているかつての板室温泉の写真がすごい。湯船を埋め尽くす婦人たちが、ロープにつかまって入浴している。
 板室温泉からは県道266号→県道21号で那須湯本温泉へ。温泉神社を参拝したあと、高雄温泉に登り、「おおるり荘」(入浴料500円)の露天風呂に入った。源泉のすぐ脇にあるこの露天風呂はまさに「天空の湯」。白濁した湯につかりながら那須高原とその下に茫漠として広がる那須原の広大な風景を一望しながら湯につかった。膨大な湯量を誇る高雄温泉の源泉の湯は「高雄湯の川」となって流れ落ちていく。
 最後は北温泉の「北温泉旅館」(入浴料700円)。露天風呂と内風呂に入ったが、ともに混浴だ。露天風呂は温泉プールといった広さ。そこでは若い男女が気持ちよさげに泳いでいたが水着は着ていない。古びた館内にある内風呂は名物湯の「天狗の湯」。浴室には2つの大きな天狗の面がかけられている。そんな天狗を見ながら熱い湯につかった。
 北温泉から那須湯本温泉に下り、東北道の那須ICへ。夜の高速を走り、首都高経由で日本橋に到着したのは22時。そこから首都高→東名で伊勢原の我が家に戻った。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル関東甲信越 82→90

黒磯→那須→日本橋

黒磯で昼食
塩那道路の通行止地点


大川林道の通行止地点
大川の流れ


大川林道のダート
かつての板室温泉の写真


高雄温泉「おおるり荘」の露天風呂
北温泉の「天狗の湯」


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