第181回 霊山寺
投稿日:2011年12月28日
2010年 林道日本一周 東北編2
奇峰が連なる霊山を目の前にする
南相馬市・原町のJR常磐線原ノ町駅前を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ県道62号を行く。県道34号を横切り、常磐道の工事区間を通り過ぎ、阿武隈山地に向かっていく。
阿武隈山地に入り、高の倉ダムを過ぎるとダートに突入。県道62号はダート県道だ。路面はよく整備されているので走りやすい。ダート県道の峠を越え、南相馬市から飯舘村に入っていく。8・6キロのダート区間を走り、長泥の集落に出た。
長泥からは国道399号→県道12号→県道31号経由で国道115号に向かう。飯舘村と旧霊山町(現伊達市)境の佐須峠を越えて中村街道の国道115号に出た。中村街道は福島と相馬の中村を結ぶ街道だ。
そこは標高825メートルの霊山(りょうぜん)の入口。2車線の舗装路を登っていく。宿泊もできる「紅彩館」前を通り、奇峰が連なる霊山を目の前にする広い駐車場でDRを停めた。ここが霊山の登山口になっている。
霊山の山頂には平安初期に慈覚大師が建立した霊山寺の堂塔礎石や霊山城跡、国司館跡などが残っている。その復元図を見ると、壮大な建物が霊山の山頂一帯に林立していたのがよくわかる。
DRを走らせ霊山の周辺をまわり、山麓の霊山神社と霊山寺を参拝。
霊山神社は南北朝時代の公家、北畠親房をまつっている。北畠親房といえば、東北経営に当った南朝方の重鎮だ。
霊山寺は霊山の山頂に建立され、高さ18尺(約5メートル40センチ)という巨大な千手観音像を本尊とした。一山には3000人もの衆徒を有し、「北の比叡山」といわれたほどで、東北天台宗の一大中心地になっていた。南北朝時代、北畠郷は霊山寺の衆徒の力を頼りに、多賀城から陸奥国の国府を霊山山頂の地に移した。そのため室町幕府軍の猛攻を受け、霊山の全山が灰燼に帰してしまった…。山麓の今の霊山寺はその名残のようなものだ。
「霊山探訪」を終え、国道115号を行く。伊達市から福島市に入り、名無しの峠を越え、東北の大河、阿武隈川を渡って福島に入っていった。
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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル東北 20→25