カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

第180回 相馬野馬追い

投稿日:2011年12月27日

2010年 林道日本一周 東北編2

「相馬野馬追い」の3社を巡る

 福島県の太平洋側の浜通りを行く。
 スズキDR-Z400Sを走らせ、県道120号で浪江町から南相馬市に入っていく。
 この道は旧陸前浜街道。江戸時代は五街道に次ぐ重要な街道で、水戸からいわき、相馬を通り、岩沼で奥州街道に合流。今の国道6号に相当する街道だ。
 南相馬市は2006年に原町(はらまち)市と小高(おだか)町、鹿島町が合併して誕生した新しい市。原町市を中心に、南に小高町、北に鹿島町という構図。南相馬市の北が相馬市になる。南相馬市から相馬市は、日本中に知られる「相馬野馬追い」の舞台。平将門から相馬氏と1000年以上もつづく坂東武者の勇壮な祭りだ。
 JR常磐線の小高駅に到着すると、駅前食堂で「たんめんライス」を食べ、相馬氏の小高城跡の小高神社を参拝。小高の相馬野馬追いの騎馬武者はここから出発する。
 相馬氏は元享3年(1323年)に下総の流山からこの地に移った。最初は原町の太田に館を築き、そのあと小高の地に城を築き、小高が相馬氏の本拠地になった。小高城はそれ以来、200数十年間、相馬氏の本拠だったが、慶長16年(1611年)に中村(相馬市)の中村城に移り、小高城は廃城になった。
「相馬野馬追い」は相馬氏の太田館跡、小高城跡、中村城跡を舞台とする祭りなのだ。
 小高神社の参拝を終えると、さらに県道120号を走り、旧小高町から旧原町市に入っていく。
 相馬氏の太田館跡の太田神社を参拝。原町の相馬野馬追いの騎馬武者はここを出発する。その先の県道120号沿いに小高、原町、中村の騎馬武者が集まって神旗争奪戦を繰り広げる雲雀ヶ原がある。祭りの日には大変な人出となる雲雀ヶ原も、ランニングをする人や犬の散歩をする人など、ごくわずかな人影があるだけだった。
 原町の中心街に入り、JR常磐線の原ノ町駅前でDRを停め、小休止。カンコーヒーを飲んだあと原町からからは国道6号で相馬へ。相馬の中心、中村の中村城跡にある中村神社を参拝。中村の相馬野馬追いの騎馬武者はここを出発する。
 こうして「相馬野馬追い」の3社、小高神社、太田神社、中村神社を巡ったあと、来た道を引き返し、原町のJR原ノ町駅前まで戻った。

※爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏内立入禁止規制で、現在、南相馬市の南半分には入れません。そのため旧小高町の小高神社には行けません。

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今回のエリア:昭文社ツーリングマップル東北 20→25→20

浪江町→南相馬市

JR常磐線の小高駅前に到着
小高駅前の「小高案内図」


小高駅前食堂で「たんめんライス」の昼食
小高城跡の小高神社


小高神社を参拝する
太田館跡の太田神社


太田神社を参拝する
相馬野馬追いの雲雀ヶ原


中村城跡の中村神社
中村神社の神馬像




中村神社を参拝する

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