環日本海ツーリング[35]
投稿日:2012年4月6日
日本最北の水田地帯にさしかかる
音威子府の町を歩き、道北の大河、天塩川の流れを見て、宗谷本線の音威子府駅に戻ってきた。旭川行きの1両編成の列車は、(当然のことなのだが)まだ、そのまま停車していた。
音威子府に到着したのは8時40分。1時間以上停車して9時53分に発車した。
音威子府、咲来の次が天塩川温泉。ここはなつかしの駅だ。
天塩川温泉に入ろうと、天塩川温泉駅には真冬にやって来た。吹雪の雪道を歩き、天塩川にかかる橋を渡った。天塩川は一面に氷結し、わずかな氷の割れ目から川の流れが見えた。橋の上から見下ろしたその光景は、今でもしっかりと目の底に残っている。
天塩川を見下ろす高台上の天塩川温泉の湯に入ったのだが、次の列車は5時間後なので、もうゆでダコ状態で長湯した。途中、食堂で「音威子府そば」の昼食を食べ、またしてもその後、ゆでダコ状態で長湯した。そんな天塩川温泉がなつかしく思い出された。
美深に近づくとジャガイモ畑が見えてきた。いよいよ畑作地帯に入ったのだ。
美深駅の2つ手前が紋穂内駅。ここもなつかしの駅。もう20年以上も前のことになるが、函館から列車で稚内まで行ったことがある。その時の目的はただひとつ、車窓から稲田を見ることだった。
旭川を中心とする上川盆地は北海道でも有数の稲作地帯、塩狩峠を越えた名寄盆地も稲作地帯になっていたが、最後の稲田をこの紋穂内駅近くで見たのだ。それにしても驚かされたのは亜熱帯の作物の「稲」を亜寒帯の世界で作っているということだ。日本人の稲作への執念をこのときみせつけられた。
列車は美深駅を過ぎ、天塩川の谷間を抜け出ると名寄盆地に入っていく。名寄駅のひとつ手前、日進駅の周辺には広々とした水田が広がっていた。
10時54分、名寄駅に到着した。