カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[62]

投稿日:2012年5月10日

0.39マイクロシーベルトで警報音が鳴り響く

 コルサコフ港での入国手続きは延々と時間がかかった。これがロシア式。じっと辛抱して待つしかない。我々、「環日本海ツーリング」のバイク軍団は最後になったので、よけいに時間がかかった。
 辛抱したかいがあってまずはイミグレーションでの入国手続きが終了。
 つづいて税関での検査。ここで問題発生。メンバーの1人が放射能チェックでひっかかったのだ。まるで空襲警報のような音が検査場内に鳴りひびき、彼の持物全部が別室で調べられた。
 ガイガーカウンターで荷物ひとつづつを調べられたとのことだが、その結果、放射能源は何とバイクカバー。その数値は0・39マイクロシーベルト。それを聞いたとき、「0・39」ぐらいでこれだけ大騒ぎするのかと驚いた。
「環日本海ツーリング」の前には東北の太平洋沿岸を走った。
 爆発事故を起こした東電の福島第1原発の20キロ圏は立入禁止で国道6号は通行止になっていた。その迂回路として国道399号で阿武隈山地を北上。浪江町の津島から峠を越えて飯舘村の長泥に下った。
 この一帯は原発爆発事故の影響をモロに受けたところで、5月11日の時点で津島は20マイクロシーベルトを超え、長泥は10マイクロシーベルトを超えていた。それでも国道399号は通行止にはならず、普通に通行できたのだ。
 津島や長泥の放射線量はコルサコフの税関を大騒ぎさせた「0・39」とは桁違い。コルサコフの税関職員が10とか20という数値を知ったら、きっと腰を抜かさんばかりに驚くことだろう。
 放射能チェックでひっかかった荷物は没収され、日本に送り返されることになった。サハリンでは処分できないのだという。たかだか「0・39」なのに…と思ったが。
 バイクの方は全車が放射能チェックにひっかかることもなく、無事に受け取れた。
 まずはサハリンの第1歩、港周辺を歩き、2、3軒の店をのぞいて見てまわる。
 店内を一目、見ただけで2000年の「サハリン縦断」のときよりも、はるかにモノが豊富になっているのがわかった。この10年あまり、サハリンは石油景気、天然ガス景気で湧いた。

コルサコフ港周辺の店を見てまわる


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