カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[78]

投稿日:2012年5月30日

ワニノ駅で蘇るユーラシア横断の熱い想い出

「サハリン7」はタタール海峡(間宮海峡)のワニノ港に到着。ロシア本土に上陸すると港近くの「ワニノホテル」に泊まった。
 翌朝は夜明けとともに起き、ワニノの町を歩く。
 ワニノはタタール海峡(間宮海峡)のワニノ湾に面したロシア極東の港町で人口4万人。1874年にこの一帯の地図を作った探険家ワニナの名前に由来している。
 バム鉄道(バイカル・アムール鉄道)がワニノを通っている。
 バム鉄道はワニノの南15キロのソビエツカヤ・ガバニが終点になっている。
「ワニノ探訪」の第一歩はワニノ駅。「ワニノホテル」の前がワニノ駅だ。ソビエツカヤ・ガバニに通じる道を渡り、跨線橋を渡って駅構内に入っていく。
 前日の「サハリン7」で一緒だった若者たちと再会。彼らは駅舎内でひと晩眠り、アムール川沿いの町、コムソモリスク・ナ・アムーレ行きの列車を待っていた。

ひと晩泊まった「ワニノホテル」
バム鉄道のワニノ駅。駅舎の後はワニノ港


ワニノ駅からバム鉄道終点のソビエツカヤ・ガバニ駅に通じる線路
ワニノ駅前の道標。ソビエツカヤ・ガバニまでは37キロ


 コムソモリスク・ナ・アムーレとワニノ間の鉄路が完成したのは1945年。この鉄道の完成によってワニノは急速に発展した。バム鉄道のワニノ駅は、シベリア鉄道終点のウラジオストック駅やその支線終点のナホトカ駅、バム鉄道終点のソビエツカヤ・ガバニ駅よりも東に位置し、ユーラシア大陸最東端の駅になっている。
 ところでバム鉄道(バイカル・アムール鉄道)だが、シベリア鉄道のタイシェット駅で分岐し、バイカル湖の北を通り、タタール海峡(間宮海峡)のワニノからソビエツカヤ・ガバニに至る全長4324キロの鉄道。日本でいえば青森駅から鹿児島中央駅まで行って帰ってくるような距離。あらためて大陸の大きさを思い知らされる。
 ブラーツクのアルミやヤクート炭田の石炭などはバム鉄道でワニノに送られ、日本に輸出されている。
 ワニノ駅の待合室のベンチに座っていると、バム鉄道起点駅のタイシェットがなつかしく思い出されてならなかった。
 2002年の「ユーラシア横断」では、今回使用したバイク、スズキDR-Z400Sでウラジオストックに上陸。ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指し、ハバロフスク、チタ、イルクーツクと通ってタイシェットに到着したのだ。
 タイシェットでは駅前ホテルに泊まった。
 ペリメニ(水餃子)とオリーブ入りサラダの夕食のあと、タイシェット駅に行った。
 ちょうどモスクワ発北京行きの12両編成の列車が到着したところだった。チタでシベリア鉄道と分れ、国境の満州里からハルビンを経由して北京まで行く列車。最後尾の1両はハルビン行きになっていた。
 駅前ホテルに戻ると、カフェでビールを飲んだ。
 そこではターニャとイラ、2人のロシア人女性と一緒になった。ぼくはターニャにすっかり気に入られたようで、手をつかまれ、スピーカーから流れてくる大音量の音楽に合わせて彼女と踊った。
 夜がふけてきたところで、ターニャに「ドスビダーニア(さよなら)」といって部屋に戻ろうとした。するとターニャは「まだ、帰っちゃダメよ」といって、ぼくをギュッと抱きしめ、豊満な胸をゴリゴリッと押しつけてくる。そして「ブチュッ」という感じでキスするのだ。まわりのギャラリーはやんやの喝采。
 ワニノ駅の待合室で、10年前のそんなシーンが蘇ってくる。それがぼくにとってのバム鉄道だ。

バム鉄道の起点、タイシェット駅
タイシェット駅に到着したモスクワ発北京行きの列車


タイシェット駅前の蒸気機関車
タイシェットで出会ったターニャ(右)とイラ


(以上は2002年7月12日撮影)

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