カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[77]

投稿日:2012年5月29日

海峡が夕陽に包まれる頃、ワニノの町が見えてくる

 ホルムスク港を出港したワニノ行きのフェリー「サハリン7」はサハリン西岸の沖を北上し、イリンスク(久春内)沖を過ぎたあたりで進路を北から北西に変え、タタール海峡(間宮海峡)を横断する。
 ロシア本土とサハリンの間のタタール海峡(間宮海峡)は長さ660キロ。一番幅の狭いところではわずか7・3キロでしかない。
 ところでタタール海峡だが、なぜ「タタール」なのか、よくわからない。
 タタールといえばウラル山脈よりも西のタタール人の国、ロシアのタタールスタン共和国を連想する。首都はカザン。きれいな町だ。
 そのタタールとタタール海峡がどういう関係なのか。
 かつてアジア系のタタール人はユーラシア大陸の広範な地域にすんでいた。その東に住んでいたのが韃靼(だったん)人。韃靼海峡がタタール海峡になったという説もあるらしい。
 タタール海峡は日本では間宮海峡といわれている。
 幕府の命を受けて樺太を探検した間宮林蔵が文化5年(1808年)に発見し、シーボルトがヨーロッパに伝えたことによるものだ。宗谷岬には間宮林蔵の像が、宗谷岬近くには間宮林蔵の渡樺の地碑が建っている。
 間宮林蔵の探検によってロシア本土とサハリンの間の海峡が発見され、サハリンが島であることがわかったのだが、この地方に住む北方民族はそのはるか以前から海峡の存在を知っていたし、サハリンが島であることを知っていた。
「サハリン7」がサハリン沖を離れ、海峡横断ルートに入ったところで船内のレストランで黒パンとスープ、サラダの昼食。そのあとは我ら何人かのメンバーとの飲み会を開始。ビールとウオッカを飲み、地図をテーブルに置いてさんざん日本海を語り合った。そのあとは船室で爆睡だ。

「サハリン7」は北から北西へと進路を変える


「サハリン7」、タタール海峡(間宮海峡)を横断
「サハリン7」の船橋


「サハリン7」の船首
黒パン、サラダ、スープの昼食


 目をさますとすぐに甲板に上がった。
「サハリン7」の進行方向の水平線上には、かすかにロシア本土が見えている。
 やがて海岸線に沿って長く延びるシホテアリニ山脈のなだらかな山並みがはっきりと見えてくる。山々がそのまま海に落ち込んでいるので海岸線には道路はなく、集落もない。
 タタール海峡の夕暮れ。
 水平線上のワニノの町明かりが見えてくる。「サハリン7」は町明かりに向かって突き進み、ホルムスク港を出てから10時間後の19時にワニノ港に到着した。

ロシア本土が見えてくる
夕暮れのタタール海峡(間宮海峡)


ワニノの町明かりが見えてくる
ワニノ港が近づいてくる


ワニノ港に到着!


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