カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[90]番外編

投稿日:2012年6月11日

ユーラシア横断(2)ウラジオストク→チタ

7月2日(火)晴 ウラジオストク→ダリネレチェンスク 423キロ
 ウラジオストクではバイクの引き取りで手間取った。ロシア税関のすべての書類がそろい、保税倉庫でバイクを引き取れたのは7月2日の18時過ぎ。ウラジオストク入港の翌々日だ。
 我ら「ユーラシア軍団」は、ヨーロッパ最西端のロカ岬を目指し、喜び勇んでウラジオストクを出発した。
 全部で17台のバイク。それにサポートカーがつく。
 車には「道祖神」の菊地さんとメカニックの小島さん、それとロシア人通訳のアレックスが乗っている。
 大渋滞のウラジオストク市内を走り抜け、M60(国道60号)を北へ。4車線のハイウェイが100キロほど北のウスリースクまでつづく。
 交通量が多い。車は大半が日本車だ。
 ウスリースクを過ぎると2車線の道になり、交通量もぐっと少なくなる。
 シベリア鉄道に沿った道。雄大な風景が広がる。その中を地平線目指して突っ走る。
 カソリのスズキDR-Z400Sが先頭を走る。時速120キロ前後での走行。バックミラーに映る後続のバイクのきれいなラインに胸がジーンとしてしまう。
 夜の10時過ぎまで明るい夏のシベリアだ。
 夜中の1時半にダリネレチェンスクに到着。パトカーがホテルまで先導してくれた。

ウラジオストク港に接岸した「ルーシー号」
「ルーシー号」から見るウラジオストク


シベリア鉄道のウラジオストク駅
ウラジオストクの中心街


7月3日(水)曇のち雨 ダリネレチェンスク→オブルチェ 717キロ
 ダリネレチェンスクからは、ウラジオストクでの2日間の遅れ(バイクの引き取りに手間取った)を取り戻すため、ハバロフスクを通り過ぎ、その先のオブルチェまで走る。
 8時朝食、9時出発。M60を北上。ウラジオストクから770キロのハバロフスクには15時45分に到着した。ここではパトカーの先導。信号が赤でも、そのまま交差点を走り抜けていく。
 ハバロフスクからは中国国境沿いのルートを行く。
 アムール川にかかる長い橋を渡り、西に向かうと、道が悪くなる。おまけに前方には真っ黒な雲。やがてそれに突っ込み、猛烈な雨が降る。
 ハバロフスクから200キロのビロビジャンの町は水があふれ、町中で川渡りをした。
 ビロビジャンを過ぎるとダートに突入。雨で濡れたツルツルのダートを速度も落とさずに突っ走った。ダートは100キロほどつづいた。
 ダリネレチェンスクから700キロ以上走り、23時、オブルチェに到着。シベリア鉄道のオブルチェ駅構内のレストランで遅い夕食。そのあと町のゲストハウスに泊まったが、一滴の水も出ないし、シャワーも浴びられなかった‥。

ダリネレチェンスクのホテル
ダリネレチェンスクのガソリンスタンド


ハバロフスクの町並み


7月4日(木)雨 オブルチェ→ブラゴベシチェンスク 397キロ
 8時、ザーザー降りの雨の中を出発。昨日にひきつづいてのきついダート。粘土質のダートではツーッと滑り、ヒヤッとしたこともあった。
 100キロあまりのダートを走り切り、14時、ノボブレスキーの町に着いたときは、心底ほっとした。町のレストランで昼食。ここからは舗装路を走る。
 シベリアの大平原を行く。360度の地平線。広大な麦畑、牧草地。
 天気が回復し、一面の青空が広がる。気温が30度近くまで上がる。
 18時、ブラゴベシチェンスクに到着。ハバロフスクと同じ規模の都市。アムール川に面している。対岸は中国の黒河。新しいビルが立ち並んでいる。
 アムール川では大勢の人たちが短いシベリアの夏を楽しむかのように水遊びをしている。町を歩く若い女性たちはスケスケルック。ノーブラの女性などは、はっきりと乳首まで見えてしまう。思わず生ツバをゴックンと飲み込むカソリ。シベリアには美人が多い。
 ブラゴベシチェンスクからは、シベリア鉄道にバイクをのせてチタへ。
 ブラゴベシチェンスク駅を出発したのは7月5日の17時。チタ駅に着いたのは7月7日の9時だった。

※2002年当時、ハバロフスクからチタまでのM55(国道55号)は一部区間が未完成で、そのためブラゴベシチェンスクからチタまでバイクを貨車にのせた。今はシベリア横断ルートの全線が完成し、問題なく走れる。

ブラゴベシチェンスクを流れるアムール川


ブラゴベシチェンスクの広場
ブラゴベシチェンスク駅


ブラゴベシチェンスクから列車でチタへ
食堂車で夕食


夕食のカツレツ
チタ駅に到着


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