環日本海ツーリング[91]番外編
投稿日:2012年6月12日
ユーラシア横断(3)チタ→イルクーツク
2002年7月8日(月) 曇のち晴 チタ→ヒロック 331キロ
チタからはM55(国道55号)を行く。沿線にはモンゴルへとつづく大草原が地平線の果てまでもつづいている。ハーブの匂いがそこはかとなく漂ってくる。ここはまさに天然のハーブ園といったところだ。
草原にビニールシートを敷き、昼食を食べていると、なんと日本人チャリダーがモスクワ方向からやってきた。
坂下広重さん。
日本人初の自転車でのロシア横断をめざしている坂下さんは、オホーツク海に面したマガダンまで走るという。マガダンから飛行機でヨーロッパに戻り、次にアフリカ大陸を縦断し、ケープタウンを目指すという。
ものすごいパワーだ。
ヒロックに向かっていくと、ゆるやかな峠を越える。この何の変哲もない峠がタタール海峡(間宮海峡)に流れ出るアムール川と、北極海に流れ出るエニセイ川の水系を分けている。
ゆるやかな名無し峠を越え、日本海から北極海の世界へと入っていく。といってもここはシベリアの内陸部、海からは2000キロも3000キロも離れている。
15時30分、ヒロックの町に到着。宿は警察の宿舎。バイクも警察のガレージであずかってもらう。
町を歩く。
シベリアとは思えないほど日差しが強く、シベリアとは思えないほどの暑さ。店で冷えたビールを買い、木陰で飲んだ。
ひと息入れたところで、鉄道大好き人間のカソリ、シベリア鉄道のヒロック駅に行く。
駅構内には木材専用列車、石炭専用列車、コンテナ専用列車など貨物列車が5本も停車していた。そのどれもが60両以上の長い編成だ。
駅前を流れるヒロック川では、大勢の人たちが水遊びをしていた。短いシベリアの夏を謳歌しているかのようだ。
ヒロック川はモンゴルから流れてくるセレンゲ川に合流し、バイカル湖に流れ込む。バイカル湖から流れ出る唯一の川、アンガラ川はエニセイ川の本流と合流し、北極海へと流れていく。エニセイ川は全長5550キロ。世界第6位の長さ、アジアでは長江、オビ川に次ぐ第3位の長さになる。
2002年7月9日(火) 晴のち曇 ヒロック→ウランウデ 346キロ
8時、朝食。パン、チーズ、スープ、デザートのアイスクリームを食べ、9時、出発。
町のガソリンスタンドで給油。ロシアではガソリンのことを「ベンジン」といっている。ガソリンスタンドの看板にもロシア語で「ベンジン」と書かれている。
ヒロックを出ると、森林地帯がつづき、やがて草原地帯に入っていく。モンゴルへとつづく大草原が広がる。牧草の緑が目にしみる。黄色い花、白い花の咲く草原も見る。これはすべて牧草地。あまりの風景の大きさに圧倒されてしまう。
昼食は草原で。
パン、チーズ、それとレトルトの五目飯。ここでは2台のBMWで「世界一周」中のスイス人カップルに出会った。彼らはウラジオストックから日本に渡るという。
ウランウデに到着すると、町の入口にあるオイル屋でシェブロンやミツビシなどのオイルを買い、ガソリンスタンドでオイル交換をした。日本を発ってから3587キロ地点。ここで欧米、日本製のオイルを手に入れられとは思っていなかったので驚きだ。
ウランウデは大きな町。夕食はレストランで。サラダ、ポテトつきの肉料理を食べた。 中心街のホテルに入ったあとは、夜のウランウデの町を歩く。日本人にそっくりなモンゴル人を多く見かける。
シベリア鉄道のウランウデ駅に行く。
ここで分岐する線はモンゴルの首都ウランバートルを通り、中国の北京に通じている。
2002年7月10日(水) 晴 ウランウデ→イルクーツク 465キロ
8時、朝食。パン&ブリニー(クレープ)、目玉焼き。
レストランのウエイトレスのロシア系ナターシャとモンゴル系ターニャはともに美人。2人とすっかり仲良くなる。
9時、出発。途中のガソリンスタンドではサハリンからやってきた父と子に出会う。2人は車でモスクワまで行くという。少年とはカタコトのロシア語で話したが、我々のバイクを目を輝かせて見入る。DRに乗せてあげるとすごく喜んだ。
ウランウデから150キロ、バイカル湖が見えてくる。海とまったく変らない広さ。見渡す限りの水平線。波が押し寄せてくる。湖岸にバイクを止めると、ここでは「大湖浴」をした。湖水は思ったほど冷たくはない。湖岸をシベリア鉄道が通り過ぎていく。
昼食はインスタントラーメン。
バイカル湖南岸のガソリンスタンドで給油。
ゆるやかな山並み。
イルクーツクに近づくにつれて暑くなる。
18時、イルクーツクに到着。郊外のホテルに泊まった。バイクはアンガラ川河畔の有料駐車場に停める。レストランでの夕食はライス、肉団子、ソーセージ、チブリャック。 イルクーツクはロシア・シベリア地方のイルクーツク州の州都。人口60万人。モスクワと極東を結ぶ交通の要衝の地になっている。
町はバイカル湖から流れ出るアンガラ川の右岸に位置している。
『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫はロシアの都、サンクトペテルブルグへの往路、復路ともにイルクーツクに滞在した。17世紀の中頃から約100年間、この町には日本人学校があったという。