カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

環日本海ツーリング[92]番外編

投稿日:2012年6月13日

ユーラシア横断(4)イルクーツク→ノボシビルスク

2002年7月11日(木)曇のち晴 イルクーツク→サヤンスク 292キロ
 9時、朝食。黒パン&ブリニー(クレープ)、サラダ、マンティー(中国語のマントーからきている言葉。中国の包子風)。
 午前中は東シベリアの中心都市、イルクーツクを歩く。
「シベリアのパリ」ともいわれるイルクーツクは歴史を感じさせる町。アンガラ川の川岸にはオベリスクが立っている。「郷土史博物館」を見学。ここではシベリアに住む少数民族の生活用具に興味を引かれた。
 スープ&肉料理の昼食を食べ、13時、出発。
 M53(国道53号)を西へ。
 M53はイルクーツクからクラスノヤルスクを通りノボシビルスクに至る幹線だ。
 アジア内のロシアのルートナンバーだが、ウラジオストックからハバロフスクまではM60、ハバロフスクからイルクーツクまではM55、イルクーツクからノボシビルスクまではM53、ノボシビルスクからチェラビンスクまではM51になる。
 イルクーツクから300キロほど走ったサヤンスクで泊まったが、この町の「エルマークホテル」はよかった。ヨーロッパのリゾートホテル風。シベリアにもこのようなホテルがあるのだ。
 パン(白、黒)、肉&ジャガイモ、マス料理、サラダ、デザートのスモモという夕食の後、町をプラプラ歩いた。高層の団地。ホテルに戻ると、ベッドにゴロンと横になり、シベリアの地図を見る。ぼくにとっては、これが何よりもの時間だ。

イルクーツクからM53を行く


M53沿いの風景
クラスノヤルスクへの道標


サヤンスクで泊まった「エルマークホテル」
サヤンスクの町並み


2002年7月12日(金)曇のち晴 サヤンスク→タイシェット 408キロ
 8時朝食。ポリッジを食べる。9時出発。
 サヤンスクから62キロ地点のクィトゥンという町を過ぎるとダートに入る。
 M53のダート区間なので、道幅は広い。バスや大型トラック、乗用車が猛烈な土ぼこりを巻き上げて走る。そんなダートが何区間かあった。ダートの合計は約80キロ。
 昼食は草原で。シートを広げ、カップヌードルとパン&イワシの缶詰。
 M53はシベリア鉄道に沿っている。シベリア鉄道の駅前で小休止。そこでは6輪駆動のバスを見た。
 タイシェットに到着したのは18時。
 シベリア鉄道とバム鉄道(バイカル・アムール鉄道)の分岐駅、タイシェット駅の駅前ホテルに泊まった。駅前レストランでは庭で焼いているシシカバブーの「シャシリック」を食べた。

朝食のポリッジ
M53のダート区間


M53沿いの草原と森林
シベリア鉄道とバム鉄道が分岐するタイシェット駅


タイシェット駅前でシャシリックを食べる


2002年7月13日(土)晴後雷雨 タイシェット→クラスノヤルスク409キロ
 8時、ピロシキ&紅茶の朝食。9時、出発。M53でクラスノヤルスクに向かう。
 途中のカンスクで給油。地元の人たちのの給油を見ていると、満タンにすることはほとんどない。5リッターとか10リッター、入れている。それもオクタン価の低い(値段の安い)80ぐらいのガソリンを入れる。
 草原でのピクニッックランチ。パン&サディーンの缶詰、それとトマト&キューリ。
 タイシェットから400キロ余りを走り、クラスノヤルスクに着いたのは17時30分。ここは人口100万を超える大都市だ。
 高層の「クラスノヤルスクホテル」に泊まる。ホテル前の広場には噴水。市民の憩いの場にもなっている。コカコーラとペプシコーラの大きな看板。シアターもある。若い女性たちはスケスケルック。下着が透けて見える。
 というよりも、
「どう、見てよ!」
 と誇示しているかのようだ。
 夕食はホテル近くのレストラン。ライス、サーモン、ハム、ソーセージの夕食。デザートはケーキ。飲み物は紅茶。ロシアでは紅茶がよく飲まれる。
 夕食後、エニセイ川の川沿いの道を歩く。
 クラスノヤルクは北極海から3000キロ近くも内陸なのに、川幅は1キロ以上ある。堂々とした大河の風格だ。
 大河というのは夢をかきたてるもの。またいつの日かシベリアにやってきて、その時はエニセイ川の川船を乗り継いで、北極海まで旅してみたい。そんな「シベリア大河紀行」への想いを馳せた。

2002年7月14日(日)晴後雷雨 クラスノヤルスク→マリンスク 380キロ
 7時、朝食。ホテルのレストランでのバイキング。オレンジジュースを飲み、ここぞとばかりにたっぷりとサラダを食べる。ボリューム満点のロシアン・オムレツがうまかった。黒パンにソーセージもよく合うとりあわせだ。
 8時、出発。エニセイ川からは川霧が立ち上っている。
 クラスノヤルスクからはM53をさらに西へ、ゆるやかな峠を越える。この峠がエニセイ川とオビ川の水系を分けている。
 昼食は草原で。パンとサディーンの缶詰。ブヨにさんざんやられた。
 昼食後の昼寝のあと出発。オビ川の水系に入ったところで、川沿いで小休止。そこでは地元の若者たちが川遊びをしていた。そんな若者たちとの交流会。
 宿泊地のマリンスクに到着したのは16時。ホテルの部屋でシャワーを浴びたあと、町に出る。そのころから急に黒雲が空を覆い、やがて稲妻が光り、ザーッと雨が降ってくる。あわててホテル前まで戻り、カフェに飛び込みビールを飲む。まるで豪雨。空が抜けるかのような雨の降り方だ。
 やはり雨に濡れた美少女がカフェにやってきた。思わずみとれてしまう。美少女にみとれるだけでなく、写真を撮らせてもらった。彼女はコーヒーを飲みながらの雨宿り。雨が小降りになると出ていった。
 ホテルのレストランでの夕食。メインディッシュはカツレツ。マッシュポテトとキューリ、トマトが添えられている。

川遊びをする若者たち
ノボシビルスクまで464キロ


マリンスクのカフェで雨宿りする美少女


2002年7月15日(月)曇後晴 マリンスク→ノボシビルスク 460キロ
 8時、ホテルのレストランで朝食。黒パンとスープ、サラダ。スープには香辛料のオクロップ。ロシア料理にオクロップ(ウイキョウ)は欠かせない。
 9時、マリンスクを出発。M53でノボシビルスクへ。寒々とした曇り空。
 昼食は国道沿いのパーキングエリア。そこにブルーシートを敷き、パンにソーセージをのせて食べる。それと日本から持ってきたインスタントラーメン。昼食のあとは20分間の昼寝。これがすごく体に効く。
 ノボシビルスクに近づくと日が差してきた。
 18時45分、シベリア最大の都市、ノボシビルスクに到着。ホテル「オビ」に泊まる。その名の通り、オビ川に面したホテル。ホテルのレストランで夕食。メインディッシュはここでもカツレツ。カツレツは代表的なロシア料理になっている。
 夕食後、オビ川の遊覧船に乗った。
 オビ川は全長5568キロで世界第5位の長さ。アジアでは長江に次ぐ第2の長さ。このあたりの川幅は2キロ近くもある。
 オビ川の遊覧船ではベラルーシから来ている3姉妹と一緒になった。3女がベラルーシのミンスクに住んでいるが、長女はクラスノヤルスク、次女はノボシビルスクに住んでいる。ということで、3姉妹はノボシビルスクで会い、こうしてオビ川の船旅を楽しんでいる。3姉妹は何千キロもの距離をおいて離れ離れに住んでいる。これが大陸だ。

ノボシビルスクで泊まった「オビホテル」
ノボシビルスクを流れるオビ川


オビ川の遊覧船で出会った3姉妹


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