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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[2]

投稿日:2012年11月22日

日本初の洋式灯台

神奈川←東京

 横須賀から国道16号を南下し、観音崎へ。
 今回の「日本一周」は2分割でまわったが、「西日本編」で63岬、「東日本編」で54岬、合計117岬に立った。
「岬めぐり」は今回の「日本一周」の重要なテーマ。その第1番目が観音崎だ。
 観音崎の地名は奈良時代の僧、行基が船の航行の安全を願ってこの地に十一面観音(船守観音)をまつったことに由来しているという。
 アドレスを駐車場に止め、観音崎の遊歩道を歩く。
 岬周辺はシイやタブ、トベラなどの照葉樹の濃い緑で覆われ、「観音崎公園」になっている。目の前は浦賀水道。東京湾に出入りする大小の船が列をなしている。対岸の富津岬(千葉県)がよく見える。観音崎から富津岬までの距離はわずか7キロでしかない。
 観音崎の灯台(200円)に登った。初点灯は明治2年(1869年)1月1日。全国には2600余の灯台があるとのことだが、観音埼灯台は最初の洋式灯台。その後、関東大震災などで2度倒壊し、現在の灯台は3代目になるという。
 観音埼灯台の案内板には次のように書かれている。

明治維新を2年後にひかえた慶応2年(1866年)5月、幕府はイギリス、フランス、アメリカ、オランダとの間に改税条約を結びました。その第11条に灯明台を備えなければならないことがうたってあります。また各国が提出した灯明台箇所書には、相模国三浦郡三崎及び観音崎が示してありました。幕府が倒れ、明治元年(1868年)となりましたが、8月30日に灯台の建設が始められました。横須賀製鉄所の長であったフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーが建設を担当することになりました。横須賀製鉄所で作られたレンガと石灰を使い、四角形白塗装の建物とフランス製レンズを備えた灯台が12月29日に完成しました。そして翌明治2年1月1日に我が国最初の洋式灯台が光を発しました。

観音崎の遊歩道を歩く
観音崎の岩礁


行基が十一面観音をまつったという洞窟
観音崎の切通し


観音埼灯台


観音埼灯台からの眺め
これが初代の観音埼灯台


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