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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[3]

投稿日:2012年11月23日

黒船来航の地へ

神奈川←東京

 第1番目の岬、観音崎からは海沿いのルートで浦賀へ。スズキの125?スクーター、アドレスV125Gで切る潮風がたまらない。
 享保5年(1720年)、江戸幕府は下田番所を廃止し、浦賀に番所を移し、江戸への出入船を取り締まった。それから130余年後、この地に黒船がやってくる。
 奥深くまで切れ込んだ浦賀の海に沿って走り、ひと山越えて久里浜へ。開国橋を渡ったところには久里浜公園。公園の中央にペリーの上陸地碑が建っている。それには「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と書かれている。
 碑文の下にはペリー艦隊の航路図が描かれている。それによると1852年11月24日、アメリカ東海岸のノーフォーク港を出港し、ケープタウン、シンガポールを経由し、1853年7月3日、江戸湾の浦賀沖に「ミシシッピー号」など4隻の黒船が到着した。
 黒船来航は日本の激動の近代史の幕開け。安政元年(1854年)に再度、来航したペリーは幕府に強硬に条約の締結を迫り、ついに日米和親条約(神奈川条約)を結び、日本は開国した。久里浜のペリー上陸地碑は、まさに「日本開国」の碑なのだ。
 公園内にある「ペリー記念館」(入館無料)を見学。入口にはペリーの胸像。中にはペリーの乗った「ミシシッピー号」の模型が展示されている。
 久里浜公園から対岸の久里浜港へ。ここからは房総半島の金谷港に東京湾フェリーが出ている。
 久里浜からさらに海沿いのルートを走り、三浦半島随一の海水浴場、三浦海岸を通り、三浦半島南東端の剣(つるぎ)崎へ。この岬は「けんざき」ともいわれる。岬の高台上には灯台。ここからは対岸の房総半島の洲崎がよく見える。伊豆七島の伊豆大島や利島、新島も見える。
 剣崎の岬名は江戸初期、徳川幕府の財宝を積んだ船が岬の沖で難破した時、海南神社の神主が岬の突端から剣を海に投げ入れ、海神の怒りを鎮めたことに由来するという。
 剣崎の灯台は慶応2年(1866年)の江戸条約に基づいて設置された8灯台のうちのひとつ。それら8灯台というのは次のようなものだ。
 1、観音埼灯台 [神奈川](1869年初点灯)
 2、野島埼灯台 [千 葉](1870年初点灯)
 3、樫野埼灯台 [和歌山](1870年初点灯)
 4、神子元島灯台[静 岡](1871年初点灯)
 5、剣埼灯台  [神奈川](1871年初点灯)
 6、伊王島灯台 [長 崎](1871年初点灯)
 7、佐多岬灯台 [鹿児島](1871年初点灯)
 8、潮岬灯台  [和歌山](1873年初点灯)
 剣崎の灯台から急坂を下って海岸に出る。そこにアドレスを止め、岬突端の岩場を歩いた。絶好の磯釣りのポイントなのだろう、剣崎の岩場には大勢の釣り人たちが来ていた。

奥深くまで切れ込む浦賀の海
久里浜のペリー上陸地碑


ペリー艦隊の航路図
久里浜公園の「ペリー記念館」


ペリーの胸像
ペリー艦隊の「ミシシッピー号」


久里浜港
三浦海岸の砂浜


剣崎の灯台
剣崎突端の岩場


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