アドレス日本一周 west[18]
投稿日:2012年12月8日
今も昔も最短距離で道は貫く
三保の3岬めぐりを終えると、国道150号に戻り、旧150号経由で清水日本平パークウェイを登っていく。その途中から見る富士山もすごくいい。清水の町、清水港越しに見る富士山は三保から見る富士山に負けてはいない。
日本平には日本武尊の像が建っている。「日本平」の地名は日本武尊の東征に由来している。ヤマトタケルはこの地で駿河を見回したというので「日本平」なのだ。
東名高速の日本坂トンネルの「日本坂」もヤマトタケルの越えた峠なので「日本坂」。焼津も草薙もタケル伝説がらみの地名だ。ただし静岡はきわめて新しい地名で明治維新以降のものでしかない。もともと静岡は駿府(府中)といわれた。
勝てば官軍、負ければ賊軍で、負けた徳川方の駿府は、官軍によって静岡に変えさせられてしまった。静岡市街北側の「賊機(しずはた)山」にちなんで名付けられたのが静岡。さすがに「賊岡」にはできなかったようで「静岡」になった。それにしても静岡県人はよくぞだまっていたものだ。穏やかな性格の駿河人だからこそ我慢できたのだと、ぼくは思っている。
話は横道にそれるが、日本坂はおもしろい。日本坂は東海道最古の峠。そこを今、東名高速の日本坂トンネルが通っている。これは何も東名だけのことではない。中央道の小仏トンネルは甲州街道の小仏峠を貫いているし、恵那山トンネルは東山道の神坂峠を貫いている。小仏峠も神坂峠も古道の峠だ。
日本道路公団の時代、高速道路建設の担当者は、古道のルートを相当研究してから高速道路のルートを決めたのではないかと、ぼくはそう思っている。古道と高速道路に共通しているのはともに最短路だということ。古代人は地形の険しさなど目もくれずに最短ルートで峠を越え、現代人はその峠をブチ抜く長大なトンネルを車で走り抜けている。時間が勝負なのは古代人も現代人も変わらない。
日本平から来た道を引返し、海沿いの国道150号で焼津へ。その途中で久能山東照宮に寄った。
久能山は日本平からロープウエイでも行かれるが、国道150号側からヒーヒーハーハーいって1159段の石段を登り、徳川家康をまつる東照宮を参拝した。その奥には家康の廟もある。
久能山の久能城はもともとは武田信玄の築いた山城。さんざん苦労して武田軍を撃退した家康はことのほかこの地を重要視し、「久能城は駿府城の本丸」といったほど。家康は死んでからも、久能山に埋葬されて駿府を守った。そして2代目将軍の秀忠が久能山に東照宮の社殿を建てた。
久能山を後にすると安倍川を渡り、用宗漁港では漁港越しの富士山、大崩海岸では海越しの富士山を見た。大崩海岸を抜け出ると焼津の町に入り、JR焼津駅前でアドレスを止めた。