アドレス日本巡礼[001]
投稿日:2014年3月6日
東海道五十三次で京へ
2009年4月1日6時45分、スズキの125?スクーター、アドレスV125Gとともに東京・日本橋に立った。アドレスは新車でメーターは00001キロ。「アドレス日本巡礼」が始まった。まずは「四国八十八ヵ所めぐり」の開始だ。
東京から京都までは東海道五十三次をたどることにする。
出発点の日本橋は日本橋川にかかる石橋だが、見事な造り。その上を首都高がまたいで走っているが、もう見慣れた風景なので、それほど気にもならない。
橋の4隅には「元標の広場」、「乙姫の広場」、「花の広場」、「滝の広場」と4つの広場がある。そのうち「元標の広場」には、日本国の道路元標の複製がある。本物は橋の中央のセンターライン上に埋め込まれている。
道路をはさんで反対側の「乙姫広場」には、「日本橋魚市場跡」の碑が建っている。日本橋川沿いの魚市場は関東大震災の後、築地に移った。
日本橋を出発すると、東海道は南西の方向に一直線に延びている。
東海道というと国道1号を連想するが、「東京→横浜」間は第一京浜の国道15号に沿っている。京橋、銀座、新橋と日本一の繁華街を通っていくが、橋でなくなった京橋と新橋には橋の記念碑が残されている。
品川宿が「東海道五十三次」の最初の宿場。その手前の高輪には「高輪大木戸跡」の石垣が残されている。見送りの人たちとは、ここで水杯を酌み交わして別れた。大木戸を出ると、いよいよ江戸ともお別れだ。
東京のターミナル駅、JR線と京浜急行(京急)の品川駅前を過ぎると、国道15号を離れ、旧東海道の品川宿に入っていく。京急線の北品川駅近くが品川宿の入口。旧東海道は一方通行の狭い道となって、京急線の東側につづいている。ちょうどうまい具合に、東京方向から横浜方向への一方通行なので、何の問題もなく走っていける。
江戸時代、大名たちが泊まったり、休憩した本陣跡は今は聖蹟公園になっている。品川寺の境内には「江戸六地蔵」のひとつ、地蔵菩薩の坐像が建っている。「品川の大仏」といった雰囲気だ。東京の大幹線、国道15号のすぐ脇に、まるでタイムスリップしたかのような旧東海道の細道が通っている。
相棒のアドレスV125Gは小回りがきき、停めやすいので、旧東海道のような旧道ツーリングにはぴったりだ。
立会川を渡ると鈴ヶ森の刑場跡。ここには「南無妙法蓮華経」の髭題目の供養塔が建っている。「八百屋お七」が処刑された火炙台や磔台、首洗いの井戸などが残されていて生々しい。見せしめのために人通りの多い東海道のすぐ脇にこのような刑場を作ったのだ。
鈴ヶ森で国道15号に合流。蒲田を通り、多摩川にかかる新六郷橋を渡って神奈川県に入っていく。昔の東海道は「六郷の渡し」で多摩川を渡った。
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