カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[043]

投稿日:2014年5月15日

狭い河口

四国八十八ヵ所めぐり 2009年4月16日
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中村駅前

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下田漁港

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下田の食堂「奴」

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昼食の「刺身定食」

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下田港を望む

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四万十川河口の浜辺

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四万十川の河口

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四万十川の河口

 四万十川下流の町、中村に到着すると、土佐くろしお鉄道の中村駅前でアドレスを止めて小休止。カンコーヒーを飲んだ。そのあと四万十市の中心、中村の町をひとまわりした。
 中村は、もともとは一条氏の荘園。応仁2年(1468年)、一条教房が京都の戦乱を避けてこの地にやってきた。それから100年、一族は国司としてこの地を支配した。京都にちなんだ地名をつけ、中村は「土佐の小京都」といわれるようになった。
 中村から県道20号で四万十川河口の下田へ。下田に着くと下田漁港を見て、漁港近くの食堂「奴」で昼食にする。ここでは鮮度満点の「刺身定食」を食べた。
 そのあと四万十川河口の浜辺を歩いた。
 四万十川の海への出口は信じられないほど狭い。川が押し流す砂利が堆積し、自然堤防が河口をふさいでいるからだ。出会った下田の人は怒っていた。四万十川の自然を守るためということで、その堆積した自然堤防を崩して河口を広げることはできない。そのため下田は、四万十川流域に大雨が降るたびに洪水に見舞われるという。
 日本の清流の代名詞のようになっている四万十川の河口から、源の不入山まで走ったことがある。カソリの「大河源流行・四万十川編」だ。その時のことを紹介しよう。

 河口の下田を出発したのは7時。中村からは国道441号を行く。ゆるやかな四万十川の流れを見ながら走る。この川の名物的存在の沈下橋をみつけると、対岸に渡ってみる。沈下橋というのはその名のとおり、大雨が降って四万十川の水位が上がると川の中に沈下してしまう橋だ。
 8時30分、中村から43キロの江川崎に到着。ここで吉野川が合流する。江川崎からは国道381号を行く。
 10時45分、中村から73キロの大正着。ここで檮原川が合流する。
 11時10分、中村から98キロの窪川着。窪川といえば、海のすぐ近く。四万十川がいかに曲がりくねって流れているかがよくわかる。窪川からは県道19号を行く。山あいを縫う狭い道だ。
 11時45分、大野見着。中村から123キロ。ここから7キロほど行ったところにある「四万十源流の家」に寄り道する。「四万十源流温泉」に入り、食堂で「四万十源流定食」を食べた。
 13時10分、国道197号に合流。このあたりまで来ると、四万十川はかわいらしい流れになる。国道197号で船戸の集落まで行き、そこから四万十川沿いの道に入っていく。そして14時30分、中村から153キロ走って「四万十源流の碑」に到着した。
 四万十川は全長192キロ。四国では吉野川に次ぐ第二の大河。上流は松葉川、下流は渡川と呼ばれている。

 そんな四万十川河口の下田を離れ、中村に戻った。


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