アドレス日本巡礼[045]
投稿日:2014年5月18日
「修行の道場」を終える
足摺岬をあとにし、海辺の曲がりくねった県道27号を走り、土佐清水に戻る。その途中の松尾、大浜、中浜は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。この地方のカツオ漁は文禄年間(1592〜96年)に紀州・印南(いなみ)の漁民たちがカツオ節の製法とともにもたらしたものだという。
紀州と土佐はまさに黒潮でつながっている。
松尾、大浜、中浜のうち、最後の中浜は足摺岬に大きな銅像が建っているジョン万次郎こと中浜万次郎の生まれ故郷だ。
江戸時代の後期、文政10年(1827年)に中浜の漁民の次男として生まれた万次郎は14歳のときに乗った漁船が難破した。漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。船長は万次郎をアメリカに連れていき、アメリカで学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語を駆使して幕末の日本の外交に大きく貢献した。万延元年(1860年)の咸臨丸(艦長勝海舟)での渡米のときにも同乗した。中浜はそんな歴史の舞台なのだ。
土佐清水からは国道321号を行く。竜串海中公園の前を通り、叶崎へ。ここではアドレスを止め、岬突端の灯台まで歩いた。そこからは海岸線を一望。はるか遠くには足摺岬が見える。
さらに国道321号を行く。宿毛の手前の道の駅「宿毛」では海草のアオサののった「あおさうどん」を食べた。
宿毛からは国道56号で中村(四万十市)方向に走り、第39番の延光寺へ。ここも多くの札所の寺がそうであるように、行基が開いた。薬師如来像を刻んで本尊とし、堂宇を建ててまつったことで寺の歴史は始まる。広い境内には梵鐘をのせた海亀の像。ここには「目洗いの井戸」がある。弘法大師が訪れたとき、この地の住民たちが水に困っているのを知り、錫杖で地面を突くと霊水が湧き出たという。それが「目洗いの井戸」だ。眼病によく効くとのことで、この水で目を洗っていく人が多い。
延光寺の本堂、大師堂の参拝を終えて宿毛に戻ったが、これで「修行の道場」、土佐の札所めぐりを終えた。
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