アドレス日本巡礼[099]
投稿日:2014年7月31日
多宝塔様式の大師堂
2009年4月27日。朝食を食べ、7時、高松・中新町の「東横イン」を出発。第80番の国分寺に向かう。相棒のスズキの125?スクーター、アドレスV125Gを走らせながら、「ついに80番台に突入だ!」と声が出る。もう感無量だ。
高松郊外の国分町にある国分寺に到着。ここは讃岐の国分寺。天平13年(741年)、聖武天皇は諸国に国分寺を建立するよう勅願し、それに応えて行基が開基した。四国八十八ヵ所にはこのような行基の開基した寺々が何寺もある。
「行基菩薩」で知られる行基は奈良時代の僧で、和泉に生まれた。諸国を行脚し、「行基図」でも知られるように、最古の日本総図をつくった。聖武天皇の帰依を受けてからというもの、東大寺や各国の国分寺造営に尽力した人物だ。
国分寺の山門前には寺の由来が書かれている。そこには創建時の金堂(本堂)と七重塔が描かれているが、当時の壮大な伽藍が想像できた。
山門をくぐって境内に入ると、四国八十八ヵ所それぞれの本尊の石像が並んでいる。まずはミニ四国の88番めぐりをし、そのあとで本堂と大師堂を参拝した。本尊の千手観音像は行基の作だという。境内の鐘楼の鐘は奈良時代のもので、国の重要文化財になっている。納経所から入っていく大師堂はほかでは見られない多宝塔様式。国分寺の境内は天平の昔を偲ばせる。そんな境内の全域が讃岐国分寺跡として国の特別史跡に指定されている。
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