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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[163]

投稿日:2014年10月21日

安倍川の金な粉餅

四国八十八ヵ所めぐり 2009年5月9日
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安倍川を渡る

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安倍川河畔の「橋本屋」

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「橋本屋」の安倍川餅

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駿府城

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駿府城の「弥次・喜多像」

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浅間神社を参拝

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江尻宿のJR清水駅

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興津宿の清見寺

 丸子宿から安倍川を渡り、旧東海道で府中宿に入っていく。安藤広重の「東海道五十三次」の府中宿絵は、安倍川河畔の「名物安倍川餅」の看板を掲げた茶屋が描かれているが、江戸時代末の安倍川河畔には全部で8軒の茶屋があったという。
 安倍川の河畔にある「橋本屋」で名物の「安倍川餅」を食べた。
 黄粉とあんこの餅が4個づつのっている。搗きたてのうまい餅だ。1皿400円。そのうちの白砂糖をまぶした黄粉餅が、もともとの安倍川餅だったという。
 慶長年間に徳川家康が井川の笹山金山を視察したとき、安倍川の茶屋でひと休みした。その時、ある男が家康に黄粉餅を献上した。きっとその味がよかったからなのだろう、家康は男に餅の名前を聞いた。すると男は安倍川と金山の金粉に因み、
「安倍川の金な粉餅」
 と答え、家康はその男の機智をおおいに褒めたたえた。それ以降、安倍川餅は有名になったという。
 安倍川餅が東海道の名物として定着するのは、さらにその200年後、18世紀も後半になってからのことだ。代官の指導のもと、駿河のこの地で、南島を除けば全国でも初の甘蔗(サトウキビ)栽培がはじまった。その甘蔗からつくる砂糖をふりかけた黄粉餅は東海道を行き来する旅人たちにおおいに受け入れられ、東海道を代表する名物になった。
 安倍川餅を食べ終えると、静岡の中心街に入り、駿府城跡を歩いた。この城は徳川家康が幼年期と晩年期を過ごした城。駿河の府なので、府中は駿府ともいわれた。
 駿府城の堀の脇には「弥次さん・喜多さん」像が建っている。2人の東海道の珍道中を書いた『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九は駿府の生まれだ。
 駿府城歩きにつづいて浅間神社を参拝し、静岡駅前から国道1号で清水へ。
 JR東海道線の清水駅前でスズキ・アドレスV125Gを停めたが、清水駅の周辺が江尻宿になる。だが本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒という、駿河の東海道では府中宿に次ぐ大きな宿場だった江尻宿だが、当時の面影はまったく残っていない。唯一、地名で「江尻大和」とか「江尻東」で「江尻」を見るくらいだ。
 清水からは国道1号の旧道で興津宿へ。ここでは清見寺を参拝。この寺は奈良時代に創建されたという古刹で、現在の寺は江戸時代に再建されたもの。徳川家康ゆかりの寺として知られている。駿府の今川義元に人質としてとられていた少年時代、家康はしばしばこの寺を訪ねては住職からさまざまなことを学んだという。

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