カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[162]

投稿日:2014年10月20日

トンネルの展覧会場

四国八十八ヵ所めぐり 2009年5月9日
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岡部宿に入っていく

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岡部宿絵

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岡部宿の町並み

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岡部宿の旅籠「柏屋」

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宇津谷峠

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丸子宿の「丁字屋」

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「丁字屋」のとろろ汁

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丸子宿周辺の案内図

 藤枝宿から旧東海道で岡部宿に入っていく。ここには旅籠「柏屋」を公開した「大旅籠柏屋歴史資料館」がある。現在の建物は天保7年(1836年)に建てられたもの。そこには「柏屋」を紹介する「弥次さん」、「喜多さん」の案内板が立っている。
 岡部宿から宇津谷峠を越えて丸子宿へ。
 その間には箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ「東海道三大難所」の宇津谷峠がひかえている。ここはまさに峠のトンネルの展覧会場のようなところ。明治、大正、昭和、平成と時代ごとの峠のトンネルが見られる。
 明治9年に完成した明治トンネルは日本最初の有料トンネル。大正トンネルは旧国道1号のトンネル。昭和トンネルは現国道1号の上り車線、一番新しい平成トンネルは下り車線だ。さらに江戸時代の旧東海道がこの峠を越え、さらに時代をさかのぼった平安時代の官道の峠道「蔦の細道」も残されている。これら宇津谷峠の峠道をスズキ・アドレスV125Gで次々に走破したのだ。
 岡部宿から国道1号に入り、まずは上り車線の昭和トンネルで峠を越え、次に下り車線の平成トンネルを抜けて岡部宿に戻った。そして旧国道1号を走り、明治トンネルを歩いて往復したあと、大正トンネルを走り抜けて丸子宿へと下っていった。
 宇津谷峠の写真は旧国道1号の岡部宿側のもので、右手に現国道1号の上下線が見えている。左側が昭和トンネル、右側が平成トンネルになる。
 宇津谷峠で「峠」を堪能したあと丸子宿に入っていく。丸子で「まりこ」。古くは鞠子と書いた。丸子宿の町並みの入口あたりの丸子川沿いに、「とろろ汁」を名物にしている「丁字屋」がある。創業は慶長元年(1596年)というから、今から400年以上も前のことになる。昔ながらの茅葺き屋根の茶屋だ。

「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」

 芭蕉の句に詠まれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』にも出てくる「丸子のとろろ汁」は、東海道中では欠かせない名物だった。安藤広重の「東海道五十三次」でも、丸子宿では「名物とろろ汁」の看板を掲げた「丁字屋」が描かれている。
「丁字屋」の「とろろ汁」は今でも人気の名物料理。昼前に入ったのにもかかわらず、店内は混んでいた。
 さっそく「丸子定食」(1380円)を頼む。すると、すぐさま名物のとろろ汁が運ばれてきた。このスピード感が命。お櫃に入った米7分、麦3分という麦飯を茶碗によそい、その上に自然薯をすりおろし、だし汁でのばしたとろろ汁をかけ、薬味の刻みネギをふりかけて食べる。麦とろはいくらでも食べられる。スルスルッとのどを通り、腹にはいっていく。
「麦とろ8杯」
 といわれるように、麦とろはいくらでも食べられる。しかも、いくら食べても腹をこわさないし、腹にもたれない。
 これから宇津谷峠に向かっていこうとした旅人たちは、丸子宿でとろろ汁をかけこむようにして食べ、パワーをつけて峠に立ち向かっていった。宇津谷峠から下ってきた旅人たちは「峠越え」で消耗した体力をとろろ汁で回復させた。とろろ汁の自然薯も、元々は宇津谷峠周辺の山中でとれる天然のものだった。
「とろろ汁」に大満足したところで、安倍川を渡って府中宿に向かっていく。「府中」は今の静岡だ。

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