カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[165]

投稿日:2014年10月23日

富士山を左手に見る

四国八十八ヵ所めぐり 2009年5月9日
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富士川橋から見る富士山

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吉原宿の町並み

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「東海道左富士」碑

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田子の浦から見る富士山

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原宿の町並み

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千本松原の海岸

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沼津宿・JR沼津駅前に到着

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沼津宿での夕食

 蒲原宿を出発すると、「間の宿」の岩淵を通り、旧国道1号の富士川橋で富士川を渡る。富士川橋からは富士山がよく見えた。
 旧東海道で吉原宿に入っていく。ここでは赤信号で止まった交差点で、たまたま自転車にのった警官にネチネチネチネチいわれた。ぼくもいけなかったのだが、止まろうか突っ切ろうか迷ってしまい、ブレーキをかけるのが遅れてしまった。そのため、横断歩道を過ぎたところでアドレスを停めてしまった。そこへ自転車に乗った警官がやってきた。
「横断歩道の手前で止まりなさい」
 いやー、ごもっとも、ごもっとも。
「信号無視で切符を切ってもいいんだよ」
 と、違反切符をちらつかせる。
「すいません、すいません」の平身低頭作戦で何とか、違反切符は切られずにすんだが、そのあとしばらくは気分がムシャクシャしてならなかった。
 国道139号を横切り、岳南鉄道の吉原本町駅前を通る。このあたりがかつての吉原宿(新吉原宿)の中心。だが、東海道の遺構は何もない。今では吉原の商店街になっている。ここから往路編のときには立ち止まったJRの吉原駅へ。このあたり一帯がもともとの吉原宿で「元吉原」と呼ばれている。高波の被害をたびたび受け、元吉原から中吉原、新吉原へと吉原宿は内陸へ、内陸へと移っていった。
 ところで、新吉原宿から元吉原宿の間には「東海道左富士」の碑が立っている。道が大きく曲がっているため、江戸から京都に向かう途中、ここからは富士山が左手に見える。東海道中、唯一の、進行方向左手に見える富士山なのだ。
 吉原宿からは旧東海道を行き、田子の浦を通り、原宿へ。ここは本陣1軒、旅籠23軒という小さな宿場だった。
 JR東海道線の原駅周辺の宿場町を走り抜け、沼津宿へ。沼津宿に入っていく前に千本松原に行く。松林を抜け、堤防上を走り、海岸にアドレスを止めた。対岸は伊豆半島北西端の大瀬崎。駿河湾越しに見る伊豆半島の山々は目に残る。
 沼津宿に入っていく。ここは天正10年(1582年)に武田氏が三枚城を築いて以来の城下町。だが、明治元年に廃城となった沼津城には外堀跡が残っているくらいで、今は本丸跡が中央公園になっている。
 沼津駅前に到着すると「東横イン」に泊まり、夕食は駅近くの「和華葉」で。ブリの照焼き、サバの塩焼きを食べた。

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