アドレス日本巡礼[175]
投稿日:2014年11月5日
佐久路を辿る
旧碓氷峠から軽井沢宿に戻ると、「沓掛の時次郎」で知られる中軽井沢駅周辺の沓掛宿を通り、日本各地に伝わる「追分節」発祥の地の追分宿へ。ここは中山道と北国街道の追分で、分岐点には道標や常夜灯、「分去れの碑」が建っている。
追分宿を過ぎたところで国道18号と分かれ、小田井宿へ。この道は県道にもなっていない。本陣や問屋の古い屋敷が残り、中山道の宿場の風情がよく残る小田井宿から岩村田宿へ。佐久の中心のひとつ、岩村田の町並みは国道141号に沿っている。ここからは長野新幹線の佐久平駅が近い。佐久平駅の浅間口にある「東横イン」に泊まった。
翌5月14日、岩村田宿から塩名田宿へ。田圃の小道を行くが、浅間山がよく見える。塩名田宿は千曲川の渡しで栄えた宿場町。町並みが切れたところで千曲川にかかる中津橋を渡るが、橋の上からは北の浅間山と南の蓼科山を同時に見ることができる。
「おー、これぞ信州!」といった風景だ。
次の八幡宿を過ぎたところで国道142号に合流する。
望月宿からは芦田宿、長久保宿、和田宿と国道142号沿いの宿場をめぐる。これらの宿場は国道142号の旧道沿いに町並みが延びているが、どこも当時の宿場町の面影を残している。時代の流れに取り残されたようでもあるが、
「よくぞ残った!」
というのが実感だ。
望月宿の本陣跡には「歴史民俗資料館」がある。望月宿と芦田宿の「間の宿」の茂田井宿には古い家並みがつづき、中山道の脇には澄んだ用水が流れている。その中に2軒の造り酒屋がある。白壁の土蔵の美しさに目を奪われた。
本陣の残る芦田宿を出ると笠取峠を越えるが、峠道には中山道随一の松並木が残っている。長久保宿の歴史資料館は中山道の旅籠を利用したもの。和田宿では宿場内を歩き、本陣と旅籠の「河内屋」、男女倉遺跡を見学した。男女倉遺跡は古代日本の黒曜石の一大加工場跡。黒曜石の石器資料館を見たあと、食事処「黒曜」で田舎そばの天ぷらセット(1575円)を食べた。ここまでが中山道の佐久路だ。