カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[195]

投稿日:2014年12月1日

新宮一番の聖地

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月16日

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熊野川の流れ

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熊野速玉大社の参道

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熊野速玉大社の神門

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熊野速玉大社の本殿

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新宮の徐福公園

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徐福公園の徐福像

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徐福公園の徐福の墓

 熊野本宮大社から熊野川に沿って国道168号を南下。国道169号に合流し、瀞峡へのウオータージェット船の出る志古を通り、熊野川河口の新宮に到着。大峰山地の八剣山(1915m)を源とする熊野川は全長158キロで近畿最長の川。河口にはポコッと盛り上がった小丘の丹鶴城跡がある。新宮では「熊野三山」の熊野速玉大社を参拝。朱塗りの社殿が色鮮やかだ。境内には上皇や法皇の「熊野詣で」の回数を記した碑が建っているが、後白河上皇が33度、後鳥羽上皇が29度…など、京から「熊野三山」へとたいへんな回数の「熊野詣で」をしている。

 熊野速玉大社の参拝を終えると、新宮駅に近い徐福公園に行った。中華街を思わせるような極彩色の門。徐福は秦の始皇帝時代の人で、皇帝から不老長寿の霊薬を探してくるように命じられ、金銀財宝を積んだ船で黒潮にのって熊野にやって来た。全部で85隻もの大船団を率いて来たという。それらの船には数千人もの男女が乗っていた。そのままこの地に住み着いた徐福らは熊野人たちに大陸の進んだ農業や漁業の技術を伝え、今なおこの地の人たちの心の中に生きつづけている。「徐福公園」内には徐福の墓がある。高さ2メートルほどの墓には「秦徐福之墓」と記されている。その隣には不老長寿の霊薬「天台烏薬」の原料になるという常緑のクス科の木。熊野川の河口近くには「徐福上陸の地」碑が建っている。

 そのあと新宮の市街地にある「浮島の森」へ。ジャングルを水耕栽培しているようなところで、東西約55メートル、南北約90メートルの浮島には寒地性の植物や暖地性の植物、もとからの地元の植物など400種以上もの植物が森を作っているという。洗濯物を干した家々のすぐわきを通って浮島の中に入ると、うっそうとおい茂る森に突入。まさにジャングルの様相だ。浮島は泥炭層の上に浮かんでいるので、強風に吹かれると動くという。このような自然が新宮の中心街に残っていることに驚かされる。この地は「神倉聖」の修行の場で、入る人はいなかった。ところがある日、美しい娘が薪とりに入り、底無し沼にすむ大蛇に呑み込まれてしまった。そんな「美女伝説」が伝わっている。

 新宮探訪の最後は神倉神社。国道42号からわずかに山側に入ったところが神社への登り口。見た目には垂直のような石段、それも自然石を段にしたような石段をヒーヒーハーハー息を切らして登りつめたところに、ご神体の「ごとびき岩」と社殿がある。神々しさが満ちあふれている。地元、新宮の人たちも、この地が新宮一番の聖地だといっている。神倉神社を参拝すると、新宮から国道42号で那智に向かった。

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