カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[194]

投稿日:2014年11月30日

熊野古道へ

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月16日

IMG_4179

新宮まであと82キロ

IMG_4180

風屋ダムでひと休み

IMG_4181

果無の集落

IMG_4182

熊野本宮大社の参道

IMG_4183

熊野本宮大社の神門

IMG_4185

熊野本宮大社の本殿

 国道168号で十津川村を南下。土津川温泉を過ぎたところで国道168号を右折し、和歌山県との境をなす果無山脈の果無の集落まで行ってみる。「果無山脈」とは幾重にも重なり合って山々がつづく十津川村らしい山脈名。山上の集落の果無では、世界遺産の熊野参詣道「小辺路」が家々の前を通っている。小辺地というのは高野山から熊野三山への参詣道。標高1114mの果無峠を越えて熊野本宮近くの八木尾に下っていく。

 昭和30年代の頃までは、この熊野古道は生活道路だった。十津川村の人たちはこの道を通って本宮の町まで行き、買物をして帰ってきた。十津川の谷を国道168号が通るようになったのは、長い十津川の歴史から見ればつい最近のことでしかない。

 果無の急な斜面の畑はきれいに耕され、家のまわりには色とりどりの花が咲いている。その風景は桃源郷を思わせた。ここでは熊野古道を歩いた。

 国道168号で奈良県から和歌山県に入り、「熊野三山」の熊野本宮大社へ。和歌山県に入ると十津川は熊野川へと名前を変える。険しいV字谷を抜け出て、谷間が広がったあたりに熊野本宮大社はある。「熊野参詣道」が世界遺産に登録されてからというもの、訪れる人の数がぐっと増えた。外国人の姿も多く見られるようになった。

 昔の上皇や法皇の「熊野詣」は大変なもので、何百人もの供をひきつれての大行列。京都から往復で1ヵ月を要したという。田辺から「中辺路」で熊野本宮大社にやってきたが、アリの行列のようにぞろぞろ歩いたところから「蟻の熊野詣」といわれたほどだ。

 熊野本宮大社に到着すると「熊野大権現」の奉納旗がなびく129段の石段を登り、豪壮な造りの神門をくぐり抜け、檜皮(ひわだ)葺きの社殿に手を合わせた。

 第一殿から第四殿までが横一列で並んでいる。第三殿が本殿で家津御子大神をまつっている。出雲神話の八岐大蛇を退治した素戔鳴尊のことだ。第一殿は熊野牟須美大神、第二殿は速玉之男神、第四殿は天照大神をまつている。「熊野大権現」の奉納旗でもわかるように、かつては熊野本宮大社は神仏混淆だった。

Comments

Comments are closed.