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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[204]

投稿日:2014年12月18日

千の手を持つ千手観音

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月17日

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藤井寺の商店街

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葛井寺の南大門

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葛井寺の鐘楼

「西国33番」第4番札所の施福寺の参拝を終えると槇尾山を下る。槇尾山口の駐車場に止めてあったアドレスにまたがり、大阪環状の国道170号で藤井寺へ。藤井寺の中心街、近鉄南大阪線の藤井寺駅の近くに「西国33番」第5番の葛井寺(ふじいでら)がある。なぜ「葛井」が「藤井」になったのかは定かではないが、藤井寺の地名は葛井寺に由来しているようだ。

 葛井寺の案内板には次のように書かれている。

葛井寺は7世紀に葛井氏の氏寺として建立されたと考えられます。その後、荒廃した時期もありましたが、何度かの修理や改築を経て現在にいたっています。当寺が所蔵する室町時代の「葛井寺参詣曼荼羅」には、堂塔は薬師寺式伽藍配置として描かれており、創建時にも同様の伽藍配置を取っていたものと推定されます。現在では、境内に残された塔心礎をはじめとしたいくつかの礎石に当時の名残をとどめています。本尊は脱活乾漆造の千手観音菩薩坐像で、芸術的にも優れ、天平時代の代表的な仏像として国宝に指定されています。

 葛井寺には正門の南大門から入った。江戸時代に再建されたという豪壮な造りの楼門。本堂近くの藤棚では藤の花がきれいに咲いていた。本堂を参拝。本尊は案内板にもあるように千手観音。ふつう千手観音像といっても千本もの手はないが、葛井寺の千手観音像はほんとうに千本の手を持っているらしい。千手観音像は秘仏だが、毎月18日に扉が開き、拝めるという。

 葛井寺の参拝を終えると今度は西門をくぐったが、この西門は境内最古の建物。慶長6年(1601年)に豊臣秀頼が寄進した四脚門だという。

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葛井寺の本堂 葛井寺を参拝 葛井寺の西門

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