カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[210]

投稿日:2014年12月27日

大和を支配した寺

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月18日

IMG_4400

興福寺を歩く

IMG_4401

興福寺の鹿

IMG_4402

興福寺の国宝館

IMG_4404

興福寺の東金堂

 大和国の一宮、大神神社の参拝を終えると、国道169号で奈良へ。中心街にある興福寺(こうふくじ)でアドレスを止めた。

 興福寺は藤原氏の祖である中臣鎌足の妻、鏡女王が京都の山科に建立した山階寺に始まる。のちに飛鳥に移って厩坂寺になり、さらに和銅3年(710年)の平城京遷都にともなって現在地に移り、興福寺と改称された。寺はその後、藤原氏の勢力が伸るにつれて寺域を拡大し、平安時代には京都の延暦寺とともに「南都北嶺」と並び称され、鎌倉時代から室町時代にかけては大和一国を支配するほどの権勢を誇った。

 そんな興福寺の境内を歩く。興福寺はおもしろい寺だ。広大な寺域を囲む塀もなく、奈良公園と一体化しているかのようで、境内のあちこちで鹿の姿が見る。

 興福寺ではまず国宝館(入館料500円)を見学。ここにはあの阿修羅像が置かれている。次に室町時代に再建された東金堂(拝観料300円)を見る。本尊は薬師如来の坐像。その両脇には日光菩薩、月光菩薩の立像を従えている。近くの五重塔も室町時代の再建。興福寺の中心となる中金堂は享保2年(1717年)の大火で焼け落ちたままになっていたが、300年近くたって復元工事が進められている。

 最後に南円堂(なんえんどう)を参拝。興福寺の境内にあるこの南円堂が「西国33番」の第9番札所。平成の大修理を終えた南円堂は朱塗りの色も鮮やかで、堂内には本尊の不空羂索観音がまつられている。高さが3メートルを超える坐像は秘仏。年に一度、10月17日の法要のときに扉が開けられる。南円堂の参拝を終えると猿沢の池のまわりを歩き、アドレスで奈良の古い家並みを走り抜け、国道24号で奈良県から京都府に入った。

 これにて「西国33番」の奈良県(大和国)編は終了。第6番の壷坂寺、第7番の岡寺、第8番の長谷寺、第9番の南円堂と、4ヵ所の札所をめぐった。

IMG_4405IMG_4410IMG_4413

興福寺の五重塔 興福寺の南円堂 猿沢の池

Comments

Comments are closed.