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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本巡礼[215]

投稿日:2015年1月8日

瀬田の唐橋を渡る

西国三十三ヵ所めぐり 2009年5月18日

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瀬田の唐橋

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建部大社に到着

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建部大社の鳥居

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建部大社の参道

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建部大社の神門

「西国33番」第13番札所の石山寺の参拝を終えると、琵琶湖から流れ出る瀬田川沿いにアドレスを走らせる。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川。下流は宇治川、淀川となって大阪湾に流れ出る。

 大津に行く前に、瀬田川にかかる「瀬田の唐橋」を渡る。ここは昔からの京都を守る東海道の要衝の地。橋のたもとには、「瀬田橋を制するものは天下を制する」で始まる案内板が立っている。それには672年の壬申の乱を始めとする瀬田の唐橋にまつわる歴史が記されている。1582年の本能寺の変では「瀬田城主の山岡景隆が瀬田橋を焼き、明智光秀の安土城進撃を一時阻止する」とある。瀬田の唐橋は川の中央にある中島により大小2橋に分けられている。

 瀬田の唐橋を渡り、旧東海道を走り、近江の一宮の建部大社へ。町並みが途切れたあたりに建部大社がある。駐車場にアドレスを止めると鳥居をくぐり、参道を歩き、神門をくぐり抜けて本殿を参拝。祭神は父景行天皇の命により、わずか16歳で西国の熊襲を討ち、さらには東国の夷を平定した日本武尊(やまとたける)。日本武尊は32歳で伊勢の能褒野で死んだ。景行天皇は日本武尊の死を悼み、この地にまつったのが建部大社の起源になっている。

 瀬田川対岸の石山寺は大勢の観光客でにぎわっていたが、建部大社は訪れる人も少なく静かだった。

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静かなたたずまいの建部大社 建部大社の参拝者 建部大社を参拝

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